【袴田事件・初公判】検察は名前も明かさない御用学者7人の「共同鑑定」にすがるしかない…そして裁判所に絶対に否定させたいコトとは

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検察が触れることを避けた進入路

 前述の安間さんは「検察は若い3人でしたが、裏木戸が開いていたかのように言ったり、作文や印象操作でごまかそうとしている感じでしたね」と言う。

 強盗殺人であれば、どこから入ってどこから逃走したかが肝要だ。確定判決では、殺害された橋本藤雄さん宅の表のシャッターは閉まっていたとされた。ところが、今回の検察の冒頭陳述は、「6月30日に日付が変わった頃、Aさん(※橋本さん)方に侵入し」とするだけで、犯人がどこから橋本邸に侵入したのかも全く書かれていない。気温の高い6月に、雨でもないのに分厚く重い雨合羽を着て、木に登って水道管を伝って中庭に降りたという原審の認定は、当初から不自然とみられていた。そのため、侵入方法に触れないようにしているのだろう。

 さらに、検察は逃走路について「消火活動時に施錠されていたとは限りません。むしろ犯人が内側から、一部の留め金を外して無理やり裏木戸を開けようとした可能性がうかがわれます」としている。

 確定判決は、犯人は4人を殺した後、鍵をかけたままの裏木戸の狭い隙間からいったん外に出てから、油を入れたバケツを持って再び隙間を通って戻り放火し、また同じ場所から外に出たことになっている。しかし、弁護団の実験では、上部の鍵がかかったまま裏木戸から出入りすることは不可能だとしている。

 消火活動に来た住民らは「閂(かんぬき)がかかっていて裏木戸が開かなかった」としているが、検察は「火災によって裏木戸の内側に多量の堆積物が生じ、そのために開けることができなかった」という苦しい理屈をこね出したのだ。仮に内側にある堆積物が邪魔したとしても、閂がかかっているのとは全く違う。消火に必死になっていた住民が力を合わせて蹴ったり体当たりしたりすれば戸は開いただろう。

新たに捏造を指摘した弁護側

 続いて弁護側は、小川秀世弁護団事務局長が冒頭陳述を読み上げた。

 小川弁護士は「犯人は外部の複数人で、動機は怨恨。犯人らは被害者が起きていた時から家に入り込み、4人を殺して放火した」とし、確定判決の未明の単独犯説を否定した。

 のちの会見で村崎修弁護士 が「こんなにすごい冒頭陳述はない。すごい踏み込んでいる」と語った通り、どこにも何の忖度もせず真犯人像にも踏み込んでいる。弁護団、とりわけ作成した小川弁護士による渾身の冒頭陳述だった。

 未明に4人が次々と殺されながら隣家の人が物音も悲鳴も聞いていないことや、被害者がワイシャツ姿で腕時計や指輪をしていたことなどの不自然さは、発生当初から指摘されていた。

 弁護団は「雨合羽は動きにくく侵入時に着るとは考えられない。さやを入れたのは犯行と工場を結び付けようとした警察だ」とした。静岡県警は工場から見つかった雨合羽に凶器のクリ小刀のさやが見つかったとしている。

 さらに、被害者宅から奪われ、犯人が工場のほうに逃げる時に落としたとされた金袋については、「(県警は)金袋2つは逃げる時に落としたとしているが、金袋を置いたのも警察で、工場関係者に嫌疑を向けさせる捏造の可能性がある」とした。また、当初、警察が被害者の血液が付着していたと認定し、犯行着衣としたパジャマについても、「当時の鑑定は肉眼で見えるような血痕がなければ血液型鑑定はできない。鑑定も捏造」とした。

 ただ、再審ではこれらが一から審理されるというより、最高裁が東京高裁に差し戻した際に宿題とした「犯行時の着衣とされ、有罪の決め手となった5点の衣類の血痕の色の変化」の再吟味が中心となるようだ。弁護団は、当初、犯行時の着衣とされたものの、血痕が検出できないパジャマでは公判が持たないと焦った警察が、新たな犯行時の着衣として5点の衣類を味噌タンクに放り込んだとする。発見時、それらの衣類には赤い血痕が付着していたが、弁護側は、1年以上、味噌につかった衣類の血痕に赤みが残るわけがないことを根拠に無実を主張する。

 法廷で小川弁護士が最後に声を大にした。「信じがたいほどひどい冤罪を生み出した我が国の司法制度も裁かれなくてはならない」と。

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