昭和の名大関・朝潮 朝青龍騒動で珍回答、初優勝で男泣きした真相…“愛されキャラ”のエピソードが蘇る

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「強い朝汐と弱い朝汐が同居している」

 大ちゃんの武器は、身長180センチ、体重180キロの巨体から繰り出される突き出し相撲である。型にはまった時の大ちゃんは無類の強さを発揮するのだが、千代の富士、隆の里、若嶋津、出羽の花など、技巧派力士にはめっぽう弱い。

 デビュー時の勢いからすれば、すぐにでも大関、横綱に駆け上がるのではないか……との見方が大半だったが、昭和55年に最初の大関取りに失敗してから、チャンスを逃すこと5回。そんなところから、「強い朝汐と弱い朝汐が同居している」とも言われた。

 昭和57年九州場所、心機一転して朝汐から「朝潮」に改名。すると初日早々に北の湖から金星を上げるなど、9勝で終えた。翌昭和58年初場所では14勝1敗、春場所でも12勝の好成績を残し、六度目の正直でようやく大関昇進を果たしたのである。

 春場所が開催される大阪は、近大出身の大ちゃんにとって第二の故郷。デビュー、初金星、そして大関を決めたのも浪速の地だ。師匠の高砂親方(元横綱・朝潮太郎、三代目)も春場所では無類の強さを見せ、「大阪太郎」の異名を取った。昭和58年春場所での大関昇進はまさに、二代目・大阪太郎の誕生だった。

「初優勝で男泣き」の真相は

 大関昇進後の大ちゃんは、右ヒザのケガなどで鳴かず飛ばずの成績が続いた。そして2年。いつの間にか、大関陣で優勝経験がないのは大ちゃんだけという状況に追い込まれていた。

 昭和60年春場所は、終盤になって千代の富士、若嶋津、佐田の海、大ちゃんによる優勝争いに絞られた。星の潰し合いの中で、大ちゃんは他の3力士全員を撃破し、みずからの手で優勝をつかんだのである。

 初優勝を決めた大ちゃんは、デビューから稽古をつけてもらっていた部屋の兄弟子・富士櫻と握手をかわした瞬間、男泣きに泣いた。このシーンは「朝潮、涙の初優勝!」と題され、メディアの話題をさらった。

 しかし、本人によると、事情は少し違うらしい。

「あの場所限りで、富士櫻さんの現役引退が決まっていたんです。支度部屋で握手をした瞬間、富士櫻さんがずっと上を向いているからどうしたのかと思ったら、次の瞬間、目からツーッと涙が一筋流れてきた。それを見た私も、思わず泣けてしまったんです」

「初優勝がうれし過ぎて泣いたんじゃないんだよ」と、大ちゃんはあえて言い張るのだが……。

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