ジョン・レノンとキース・リチャーズの「ドラッグ旅行」で起きた事件
2023年にザ・ローリング・ストーンズが新しいアルバムを、ザ・ビートルズが新曲をリリースするなどと想像できていた人がどれだけいただろうか。
アルバムのプロモーションで、「news23」のインタビューに答えたミック・ジャガーは、80歳とは思えないエネルギーの秘訣(ひけつ)を聞かれ、次のように答えている。
「特にないよ。ただ人生を楽しんでいるだけさ。でもジムに行ったりボイストレーニングをしたり――食生活にも気を付ける必要がある。それに酒も飲み過ぎないことだ。薬の飲み過ぎもよくない」(TBS NEWS DIG配信動画より)
ここでミックが言っている「薬(drug)」を深読みするファンも少なくないだろう。それは治療のために処方される、文字通りのお薬のことなのか、それとも長年、ローリング・ストーンズとは深い関係にあったそっちの方のことなのか、と。
ローリング・ストーンズやビートルズなど、多くのロックバンドが薬物と密接な関係にあったことは広く知られている。両者とドラッグにまつわるエピソードを『不道徳ロック講座』(神舘和典・著)をもとに見てみよう。(以下、同書をもとに再構成しました。出典は記事末にあります)
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「ヘルプ」とドラッグ体験
ジョン・レノンは著書で、脳神経系に幻覚をもたらす半合成のドラッグ、LSDを初めて体験したときのことを打ち明けている。
「ロンドンの歯科医が、自分の家で開いたパーティの席上、私たちには内緒で、ジョージと私、それに、彼と私の妻に、飲ませてしまったのです」(※1、以下同)
歯科医は、ジョンやジョージ・ハリスンの飲み物にLSDを混入させた。その後、みんなでアド・リブというディスコに出かけたという。
「〈アド・リブ〉へいったときには、もうLSDがきいていて、そのため、そこが火事で燃えているように見えたのです」
しかし、幻覚だった。
その後、ジョンはLSDを常用するようになる。
「なん年も、つづきました。私は、1000回ほどはトリップしたでしょうね」
その時期、ビートルズのなかではポール・マッカートニーだけはLSDをやらず、3人はポールを仲間外れにしていた。「私たちはLSDを飲むのに、きみだけは飲まない」という子どもっぽい態度をとっていたことをジョンは告白している。
しかし、やがてポールも体験し、4人の足並みはそろう。
「いちばんいかれていたのが、私とジョージでしょう。ポールは、私やジョージにくらべると、もうすこし安定しているのです」
ジョンは、他にもドラッグから曲をつくっている。たとえば、ビートルズ時代の「デイ・トリッパー」や「ヘルプ」はドラッグ・ソングとまで言う。
「『ヘルプ』は、マリワナでつくったのです。『ビートルズがやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!』のときは、私はピルをやっていました。ピルは、ドラグです。マリワナよりも強い、ドラグです。私は、15歳のころからピルをやっているのです、いや、17歳か19歳のころからです……ミュージシャンになって以来です。ハンブルクで一夜に8時間の演奏をおこなうという生活を生きのこるための唯一の手段は、ピルだったのです」
ジョンとキースのドラッグ旅
ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズほどドラッグにまみれた人生を歩いてきた人はいないのではないか。
1970年代以降、キースはロック界のジャンキーの象徴として語り継がれている。いまなお精力的にワールド・ツアーを行っていることはこの世の奇跡としか思えない。
キースはドラッグで何度も逮捕、起訴されている。そのエピソードを詳細に書こうとしたら本1冊では足りない。それゆえ、どうしてもかいつまむことになることは理解してほしい。
1973年、イギリスの音楽紙『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』が「すぐ死にそうなロック・スター」のトップ10を発表。その第1位になったのがキースだった。その後も10年連続でチャート1位を守り続けた。
「笑っちまうな。10年連続でチャートの1位になったのはあれだけだったからな。ある意味、誇りに思っていたよ、あの地位を。あんなに長くあの王座に君臨できたのは俺くらいのもんだぜ。トップから落ちたときは、ほんとにがっかりしたよ。しまいには9位まで落ちた。なんてこった、もう死にたくなったぜ」(※2、以下同)
死にそうなロック・スター・ランキングの順位が下がってかえって死にたくなるとは、キースらしいブラック・ジョークだ。
1960年代の終盤から死にそうなロック・スターのチャート1位に君臨し続けていたキースは、いく度となくそこから抜け出そうとしている。しかし、なかなか成果が上がらなかった。それには、いくつかの理由が見て取れる。まず、作品づくりにはドラッグが不可欠だと本人は思っていた。
また、ドラッグのネットワークがあり、質のいいものが入ると、ついやってしまう。一緒にやる仲間もいる。
ジョン・レノンと一緒にロンドンから旅に出たこともあった。ドラッグをやりながらハイド・パークをぐるぐる回り、郊外にあるジョンの自宅で最初の妻のシンシアと対面し、その後は二人とも記憶がない。朝になったら、イギリス南部ドーセット州にいた。
「ジョンは俺と張りあうように麻薬をやりたがることが何度かあった」
二人はニューヨークでもドラッグをやっていた。ジョンはあまりドラッグに強くなかったとキースは語っている。
「ジョンはかならずうちの便所(ジョン)で便器をかかえて撃沈した」
オノ・ヨーコにキースはたしなめられる。
「こんなことすべきじゃないのよ、彼は」
「わかってるさ。でも、無理にやらせたわけじゃねえ」
『キース・リチャーズ自伝』には、キースとヨーコのそんなやり取りも書かれている。
やがてジョンはトイレから出てきて、次を求めた。
別の日、一人でやってきたジョンはワインを飲み、またドラッグをやった。
いつのまにか姿が見えなくなったので、キースがトイレをのぞくと、極彩色の吐瀉物とともに床にへばりついていた。
「動かさないでくれ。このタイルは美しい」
アーティストらしい発言だ。ジョンは土気色の顔でキースに訴え、やがて誰かに抱えられて帰っていった。
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彼らのワイルドな私生活に憧れて、違法薬物に手を出す向きもいるのかもしれない。しかし、数多くのミュージシャンがそれによって破滅していったことも事実である。ローリング・ストーンズはブライアン・ジョーンズという犠牲者を出している。
現役で活躍しているミックやキース、ポールらは皆、ある時期に薬物とは縁を切ってヘルシーな生活に切り替えたし、おそらくは格別に体が丈夫か運が強い特別な人たちなのだという点を忘れてはなるまい。
※1 『ビートルズ革命』(ジョン・レノン著/片岡義男訳/草思社刊)
※2 『キース・リチャーズ自伝 ライフ』キース・リチャーズ著/棚橋志行訳/楓書店刊)