【創価学会元理事長・長男の苦悩】修学旅行でお土産に買ったダルマを母親に捨てられ…信心はなくなっても学会はやめない事情

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大学時代に熱心な活動を開始

 大学受験では宇宙工学を学べる大学を志望していたが、最終的に父親の勧めで創価大学へ進んだ。大学入学後、教団活動に熱心に取り組んだ。

「創価学会の活動をしていなかったぼくのところに、『一緒に活動しようよ』と足繁く通ってくれていた先輩がいたんですが、彼が事故で亡くなってしまったんです。歳が近い身近な人が亡くなるのは人生最初の経験で、かなりショックを受けました。その動揺の中で、(学会活動を)ちょっとやってみるかな、と思いました。会合に参加し、折伏(勧誘)もしました。小学生時代の友人たちを折伏しようとしたところ、迷惑がって疎遠になろうとする人と、関係を保とうとする人との間で分断も生まれました。ぼくの折伏の仕方も悪かったのかもしれませんが、本当に申し訳ないことをしました」

 創価学会の学生部では、同期生と互いに信仰の熱心さを競った。

「『オレ、今年、貯金全額を財務(献金)するぜ』とか『オレ(学会活動のために)3時間しか寝てないぜ』みたいな感じで、マウントを取り合う。一方的な同調圧力ではなく、これで互いを高めあっているという空気でした。主体的にそうしている部分もかなりあったので、体感としてもめちゃめちゃ楽しかったです」

公明党に「もうついていけない」

 その一方で、「平和の党」だったはずの公明党が、2003年にイラクへの自衛隊派遣を容認したことに疑問を感じる。大学を卒業し本部職員になった後も、公明党の政策への疑問は続いた。

「職員になりたての頃、公明党が『年金100年安心プラン』を掲げたのですが、ぼくは全く安心だと思えませんでした。有権者の誤解を生む政策だと、先輩に異議を唱えたりしました。他にも政策についてちゃんと吟味する姿勢を貫き続けたがゆえに悩む場面が多くて、2015年に公明党が安保法制に賛成した時、もうついていけないという思いになりました」

 伸城氏は、公明党ではなく創価学会の本部職員。もちろん、公明党の政策を検討する立場ではない。

「本部職員として、会員には公明党への支持を呼びかけますし、選挙になれば公明党への投票を呼びかける電話かけなどの活動も会員に呼びかけます。自分が疑問を感じているものを会員さんたちに勧めることについて、ずいぶん悩みました」

 現在、公明党は、次期衆院選をめぐり東京都内で自民党との選挙協力解消を公表した後に、改めて協力に転じるという動きを見せている。いかにも創価学会らしい駆け引きのようにも思えるが、元教団本部職員の目からはどう見えるのか。

「戦略的な駆け引きというより、自民党の茂木敏充幹事長と公明党の石井啓一 幹事長の意地の張り合いみたいな感じではないでしょうか。自公の間を調整するパイプ役があんまりうまく機能しなくなってきているように感じます。しかし、学会員は、いざこざがあっても公明党を応援することに変わりありません。自民党との協力のあり方を再考すれば、学会員が純粋に公明党の応援に専念できるようになる可能性もあると思いますが、そう主張する会員が多いとは言えないですね。自民党との関係で生まれる政策と創価学会の理念の矛盾についていけない人が、一部、学会活動から離脱しています」

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