巨人V9から半世紀 当時の主力・柴田勲が語る「年俸の裏側」と「伝説のサヨナラ3ラン」

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球団への不満は募ったが…

 ホームランは9本に減り、打率は.229まで落ち込んだ。打点も86から32に激減した。辛うじて、35盗塁で2年ぶり3度目の盗塁王には輝いた。その年の契約更改はさらに悲惨だった。

「今度は『25%ダウン』でした。25%を超えると移籍の自由が生じるから、事実上、最大幅の減俸。元々年俸1千万円くらいだから、25%も減ったら普通の選手と変わりがない……」

 華やかに見えるV9戦士の懐事情は、他人がうらやむような高年俸ではなかった。

「後で分かったことだけど、球団には総年俸の予算枠がある。僕を上げると、土井正三、黒江透修、高田、末次民夫、みんなを上げなければいけない。ところが『柴田もこのくらいだ』と言われれば、他の選手も無理を言えない。そのための防波堤だったみたいです」

〈5番柴田〉の2年半は、柴田にとって試練と苦悶の時期だった。球団への不満は募ったが、

「巨人のユニフォームへの愛着、巨人で野球を続けることには抵抗がなかった」

 それが当時の巨人の選手独特の感覚なのだろう。球団にはそこを見透かされていたともいえる。時代の流れ、制度の改革を経て、いまはその感覚や球団と選手の関係はかなり変化している。

 柴田は「1番、スイッチヒッター復帰」を直訴し、71年から1番打者(時に2番打者)に戻った。

驚異の“福本対策”

 巨人V9の歴史の中で、「今年は危ない」と日本シリーズ前に強い危機感が漂っていたのが71年、阪急ブレーブスとの対決だ。

 阪急は、投打ともに充実していた。投手陣は19勝の足立光宏と、3年目で22勝と飛躍を遂げた山田久志。タイプの違う二人のアンダースローを擁し、右の剛腕・米田哲也(14勝)、やや不調だがベテラン左腕・梶本隆夫(6勝)と、十分な柱がそろっていた。

 打線も強力。主砲の長池徳二は40本塁打、114打点、打率.317。3年目の加藤秀司も25本、92打点、.321。数字だけ見ればONと遜色がない。阪本敏三、森本潔、大熊忠義もそれぞれ15、16本塁打を打ち、渋く脇を固めていた。

 さらに、最大の脅威は67盗塁で2年連続盗塁王に輝いた福本豊の快足だった。

「どうやって福本の足を封じるか」

 それが巨人7連覇達成の鍵だと川上監督、牧野ヘッドコーチ以下、巨人首脳陣の間で見解が一致していた。

〈福本が塁に出たら、一塁けん制と同時にセカンド土井が一塁方向に走る。わざと悪送球を投げ、フェンスに当たって戻ってくるのを土井が捕って、福本を二塁で刺す〉

 そんな作戦を考え実際に練習したという。

〈キャッチャー森の肩は衰えている。そこが巨人の泣き所だ〉とシリーズ前には多くのメディアで語られていた。当の福本が言う。

「新聞やテレビでそう言ってるし、問題なく走れるやろうと思ってたよね。それが初戦で刺されて動けんようになった。僕がというより、チームがね。盗塁のサインが出なくなった」

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