「1.5次流通」で日本のフードロスを削減させる――関藤竜也(クラダシ代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

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中国の鶏肉工場で

佐藤 商社ではどんな仕事をされていたのですか。

関藤 最初に配属されたのは鉄鋼部門です。その後、外為部門に異動し、為替の値動きを見てブッキング(契約)する仕事をしました。同じものを売ったり買ったりしても、為替一つで大きく利幅が振れる。商社らしい部門で、その醍醐味を味わいましたね。

佐藤 モノを一つ一つ売って稼ぐ世界がある一方、為替レートを見てボタン一つ押すだけで、数百倍ものお金を稼げる世界がある。

関藤 その通りです。それから私は、企業派遣留学で中国は北京の国立大学に1年通いました。そして上海の西にある無錫(むしゃく)のアパレル工場で生産管理の担当をして、次に上海の現地法人に移りました。

佐藤 そこではどんな立場だったのですか。

関藤 会社の指示は、日本に帰ってくるな、中国全土を歩くのはよし、といった感じで、基本的には何をやってもいい、という立場でしたね。

佐藤 つまり自分で事業の種を見つけてこいということですね。

関藤 はい。それで中国各地を見て回っていたのですが、その一つに鶏肉工場があったんです。そこでは、なかなか指示書通りに製品が仕上がってこない。どれも同じ形と重さにカットしなければならないのにバラバラだった。ミンチにするなどのラインがありませんでしたから、それを大量に廃棄していました。

佐藤 1990年代に中国は「世界の工場」と呼ばれるようになりましたが、実態はそんな感じだった。

関藤 ええ、それは食品だけでなく、アパレル工場も同じでした。首の入らないセーターが1万着できたり、Mサイズのシャツの袖がSサイズだったり、さまざまな珍事が起きていましたね。

佐藤 その度、大量廃棄が行われる。

関藤 ええ。これはもったいないし、環境面でも問題になると思いました。これが起業につながります。ちょうどその頃、国連がMDGs(ミレニアム開発目標)を採択しています。極度の貧困や飢餓の撲滅、環境の持続可能性確保など八つの目標が定められた。そこで帰国後すぐ、フードロス問題に挑みたいと会社に提案したんですよ。予算は数億くれ、アシスタントは2人欲しいと生意気なことを言いましたが、話は聞いてくれた。ただ、いまじゃない、もっと先の話だと言われた。

佐藤 ちゃんと提案自体は受け止めてくれたのですね。

関藤 ええ、でも確かにタイミングが来てなかった。国連のMDGsのゴールは2015年でした。私はその後にはおそらくMDGsの進化版ができるだろうと思いました。そうすると事業を始めるタイミングは、その1年前がいい。それで会社は2001年に辞め、2014年にクラダシを設立したのです。その翌年、国連はSDGs(持続可能な開発目標)を採択しました。

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