世界が憧れた「中銀カプセルタワービル」はまだ“取得可能” 取り外された「カプセル」の“意外な譲渡先”とは

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松竹が取得して“地元”に復活

 東京・銀座に鎮座し、国内のみならず世界中の建築家から注目されていた「中銀カプセルタワービル」が解体されて1年が経った。同ビルは「メタボリズム(新陳代謝)運動」を率いた建築家の黒川紀章氏が、その思想を織り込んで自ら設計し、1972年に建てられた稀有かつ貴重な建築物。解体時には20以上のカプセルが取り外されて保存された。あのカプセルはいまどうなっているのか? その後を追った。【華川富士也/ライター】

 10月上旬、東京・築地の東劇ビル隣接地で「SHUTL(シャトル)」というスペースがお披露目された。中にはカプセルタワービルから取り外されたカプセルが2つ収まっている。ひとつはオリジナル内装に戻されたもの、もうひとつは内装を取り外したスケルトン状態のものだ。かつてカプセルタワービルがあった場所から徒歩10分ほど。修復されて“地元”に帰ってきたことになる。

“レジェンド物件”の一部だった2つのカプセルを取得したのは、東劇ビルに本社を置く松竹株式会社。シャトルプロジェクトリーダーの山﨑基氏によれば「リースではなく、譲渡されたものです。松竹グループのミッション『日本文化の伝統を継承、発展させ、世界文化に貢献する』にもとづいて取得しました」といい、今後はカプセルを保存しながら、このスペースで美術・工芸作品の企画展示・販売や映像を使ったイベントなどを行っていく。シャトルのカプセルは一基からレンタルすることができ、独自のイベントを行うこともできる。

 取得へ向けた松竹の動きは早く、「解体が始まる前、『中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト』が譲渡先を探していると知り、代表の前田達之さんにコンタクトを取りました」(山崎氏)。その前田氏によれば「受け取りたいと連絡をいただいたのは、松竹さんが最初か二番目。それぐらい早かった」というから、松竹のカプセル保存と活用への本気度が伝わってくる。遠くない将来にあり得る隣接する東劇ビル(竣工1975年)の建て替えの際には、場所を移して活用していくという。

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