田中角栄 赤坂の料亭で流通前の新1万円札を取り出して…他の政治家には絶対にマネできない「カネと女」の流儀とは
若手議員が涙した角栄メモ
特筆すべきは、角栄はただ金を配って恩を売るだけではなく、相手の心までわしづかにしてしまうことがままあったという点である。
政治評論家の小林吉弥氏が語る。
「田中派のある若手議員が、女との不始末の清算でどうしても100万円の現金が必要になった。しかし自分ではすぐにそろえられず、角栄に電話して借金を申し込んだところ、彼は話を半分まで聞いたところで“分かった。金はすぐに届けさせる”と応じたそうです」
30分ほどで秘書が紙袋を届けに来た。開けると、そこには本人が申し込んだ額の3倍の300万円の現金が入っていた。
「角栄によるメモも添えられており、こう書かれていた。“一、まず100万円でケリを付けろ。二、次の100万円はお前の不始末で苦労した周りの人にうまいものでも食わせてやれ。三、次の100万円は万一の時にとっておけ。四、300万円全額の返済は無用である。”若手議員は涙しながらそのメモを読んだといいます」(同)
その“情”に感服した若手議員は角栄に殉ずると決心し、実際、最後まで彼を支え続けた。こうした人づき合いの方法は女性に関しても同様であった。
「三つの家庭」を大切にした
角栄は「三つの家庭」を持っていた。本妻であるはな夫人、神楽坂芸者だった辻和子さん、そして、金庫番でもあった佐藤昭女史。3人の女性との間にそれぞれ子供をもうけ、破綻することなく関係を継続できた理由こそ、角栄の“情”だった、と先の小林氏は言う。
「角栄は情の人ですから、3人の誰に対しても同じように大切にした。彼の金と女の扱いで見えてくるのは、常に情を持って相手に心を配っていたということ。それこそが角栄の神髄だったのです」
前出の越山会関係者は、角栄から次のように言われたことがあるという。
「外で遊んでもいいから、母ちゃん(妻)を大事にしろ。ただし、その遊びは本当の遊びじゃダメだ。女ともめるのは、夜、一生懸命汗をかかなかったからだ。母ちゃんにも女にも汗をかけ」
“汗をかけ”とは、つまり夜の営みのことで、
「角さんの愛人として名が知られているのは、佐藤昭さんと辻和子さんですが、それ以外に別の女もいたようで、“全員にそんなことをしていたら身が持たないでしょう”と聞くと、“お前らとは鍛え方が違うんだよ”と言っていました」
越山会関係者はそう振り返る。
「他に記憶に残っているのは、お土産のマメさです。相手の女性が何が好きなのか、色やブランドの好みが全て頭に入っていて、行く先々でそれぞれの女性たちに合ったお土産を大量に買うのです。秘書に買わせることもありましたが、必ず自分で渡していましたね」
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