「寿命が残り何年でもそれほど変わらない」 横尾忠則が語る残りの人生と健康

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 前回は「人間、死んだらどうなるか」を僕なりにあれこれ妄想しましたが、今回は現実的な話に戻して、死ぬまでの間、どう生きるか、を妄想してみようと思います。

 今年、87歳になりましたが、まさか、この歳まで生きるとは思ってもいませんでした。子供の頃は病弱だったらしく、医者は「ウーン!?」と首を傾げていたそうです。もし、その時の医者がおられたら、今の僕はとても想像できなかったと思いますが、大病を患ったという記憶はあまりありません。国民学校に入学した時、足の大ケガで2ヶ月ばかり休んだ以外は、学校を病気で長期欠席した憶えはありません。

 まあ大人になってというか、30代の頃、動脈血栓で片足を切断するかしないかの大病を患ったことはありました。しかしこの足の病気は東洋医学(マッサージ)で奇跡的に治り、それ以来、持病の喘息や、顔面神経麻痺、帯状疱疹や前立腺肥大や骨折で入院することはあっても、致命的な病気は、まあ去年、急性心筋梗塞でカテーテル手術をした位で、現在は息切れがする程度です。この息切れは完全に運動不足から来ているもので、もうこの歳になると、散歩するとか、呼吸法とか、どっちにしても面倒臭いので、四六時中アトリエに籠ったままで、不健康そのものです。

 僕と同年位の年寄りで、健康管理に神経を使っている人も多分いらっしゃると思いますが、僕は生来メンドー臭いことは何かにつけて全て避けてきました。長寿を目的とした養生はいっさい何もしていません。健康で長生きするに越したことはありませんが、まさか100歳まで生きたいとも思いません。90代で元気に活躍している芸術家もおられるかと思います。100まで生きて絵が完結するのなら、少し頑張ってアスレチックでもやるかなと思いますが、肉体の衰えに反比例して芸術が完結するとも思えません。

 まあ肉体寿命と芸術寿命がピタッと一致して、「ハイ、これまで」という両者のゴールがあればいいのですが、あの大天才の北斎が90歳の時、あと10年、延命させてくれたら宇宙の神秘が描けるかも、と祈願したけれど結局その後すぐに亡くなっています。肉体寿命はともかく、芸術寿命が生前中に完結しなくても、残こりは死んでから、その続きをやればいいんじゃないの、と僕はその程度の横着さでいます。

 また、100まで生きなくても、思いも寄らずその手前で芸術が完結すれば、それはそれで儲けものぐらいに思っています。禅の悟りのようにある時、ふいに大悟することもあるかも知れません。だけど芸術の完結というか完成を目的に生きていくのはよくないと思います。こういうものは、樹の実がポトンと落ちるように全く予期しない時にやってくるものではないかと思います。だから、あんまりあれこれ考えずに、したいこと(描きたいこと)をコツコツ何の期待も持たずにやるしかないんじゃないでしょうか。

 ただ、87歳まで生きてくると、不思議と達成感を求めるというような願望というか欲望は、若い頃に比べるとうんと失くなってきています。もうこの歳になると目の前に死がぶら下っています。この前の急性心筋梗塞みたいに突然病に襲われ、僕はたまたま死をまぬがれましたが、あのまま亡くなる人も沢山いる病気で、いつも死のど真中にいるも同然です。今さら、健康食を食べたり、アスレチックジムに通うとかして、一体何年寿命が延びるというんですかね。一年や二年や三年、寿命が延びたからといって、何か面白いことでもあるんですかね。

 足腰は弱り、息切れが激しくなってどこか遠くへ旅をするという気もしません。といって美味いものを食べようとしても、いつの間にか少食になっています。僕の場合ですが、やることは絵を描くことしかないのです。描いた絵の行き先きの運命もわかりません。天変地異や戦争で、あっけなく作品が破壊されないとも限りません。寿命は自分で決めるものではなく、生まれた時に宿命として決まっているというではないですか。だったらその宿命の来る日まで、あれこれ難かしいことを考えたり、計画を立てたりしないで、ぼんやりと過ごすことが、むしろ自然の理にかなっているような気がします。死んだ先きのことが気になるなら、僕の前回のエッセイを読み返して下さい。

 老齢になって死を目前にするというのは思ったより、ずっといいものです。あと2、3年で終るかも、もう少し生きて、5、6年かも。どっちだって、そう変らないと思います。ですから人それぞれですが、好きなことだけをすれば、10年、20年生きたのと同じほどの充足感はあると思いますよ。誰かさんより、1年長生きしたからって自慢などしても意味がないです、1年も2年も同じ、5年も10年もきっと同じ感覚だと思います。こんな呑気なことを僕が言えるのは前回のエッセイのような考え方で生きているからかも知れません。僕の妄想だと思って読んで下さい。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2015年第27回高松宮殿下記念世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。22年度日本芸術院会員。

週刊新潮 2023年11月2日号掲載

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