“暴力横綱”と叩かれ廃業した横綱・双羽黒 「このまま時が流れて…」本人が生前に語っていた心境とは
横綱昇進後は優勝できず2度も休場
ところが、若き横綱にいきなりピンチが襲う。
横綱デビューの秋場所は、6日目を終えて、3勝3敗。7日目の対戦相手は小錦だったが、この日から頚椎捻挫のため、途中休場となった。
翌九州場所、62年初場所は、いずれも12勝をマーク。初場所は千代の富士との優勝決定戦となったものの、優勝は千代の富士のもとに。そして、翌場所は途中休場。
出場する以上、毎場所優勝争いをすることが使命とされる横綱の地位。ところが、双羽黒は横綱昇進後、一度も優勝できないばかりか、2度休場して、横綱としての任務を果たしているとは言えなかった。
ホラ、見たことか!
やっぱり、横綱にするべきじゃなかったんだよ!
横綱審議委員会の重鎮は大激怒。さらにメディアも「横綱、失格!」などと、双羽黒批判を繰り返した。
土俵に復帰してからも、10勝(夏場所)、8勝(名古屋場所)、9勝(秋場所)と、およそ横綱らしからぬ成績で、10月からの秋巡業がスタートした。
巡業中、横綱には7~8人の付け人が付く。横綱の象徴である綱を締めたり、身の回りの世話を焼いたりするのは、彼らの仕事だ。
そして、この秋巡業中に、とんでもない出来事が起きた。双羽黒の付け人たちが、巡業先の宿泊施設から逃亡し、仕事をボイコットしたのだ。
付け人に頭を下げて…翌場所は絶好調に
「横綱は、人使いが荒い」
「もう付いていけない。相撲を辞めたい」
付け人たちの不満は、ピークに達していた。
驚いたのは、会食を終えて宿泊施設に戻ってきた双羽黒だ。彼らがいなければ、明日の巡業で、綱を締めることもできない。
事情を把握した師匠にたしなめられた双羽黒は、付け人たちに頭を下げた。すぐに付け人全員が戻ってきたわけではなかったものの、横綱が頭を下げたことで、事態はいったん収拾した形になった。
心を入れ替えて臨んだ九州場所は、横綱昇進以来、もっとも調子がよい場所となった。
初日から13連勝。14日目に北勝海(保志から改名)、千秋楽、千代の富士に敗れて、13勝2敗で終わったが、久しぶりに双羽黒の強さが際立つ場所だった。北尾さんはかつて、悔しさを込めてこう振り返っている。
「手応えがある場所でした。実際、翌年初場所の『優勝候補』として、80パーセントの親方が、私の名前を挙げてくれていたくらいだったんですよ! それくらい、心身ともに充実していたし、『これからやれるぞ!』という感じでした」
そんな中で起きた、年末の「事件」だった。
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