「国が認めない人間国宝」と評された高田渡 家賃5万8000円の木造アパートで暮らしたフォークシンガーの生き方とは

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 朝日新聞編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今回はフォークシンガーの草分け的存在、高田渡(わたる)さん(1949~2005)の人生に迫ります。1969年、「自衛隊に入ろう」でレコード・デビューして以来、風刺の効いた社会派のフォークソングを歌い続け……といっても、視点は常に生活者のそれ。淡々と歌う独特のスタイルに込められた高田さんの波乱の人生とはどのようなものだったのでしょうか。

旅先で突然の死

「メッセージソングは嫌い。日常の風景をそのまま歌えたら一番いい。それが本当のプロテストでしょ」

 それが彼の信念だった。

 出てくるのは、普通の風景に普通の人々。寄り添うように、でもべったりではなく、生活者の視点で淡々と歌った。

 フォークシンガー・高田渡(わたる)である。かつて俳優の柄本明(74)は渡さんのことを「国が認めない人間国宝」と称したが、まさにその称号にふさわしい人だった。その歌に「英雄」は一切出てこなかった。

 まずは渡さんがどのような最期を迎えたのかを振り返ろう。

 2005年4月3日、北海道白糠町の社会福祉センターで行われたライブに出演。開演前から足がふらつくなど体調は万全ではなかったが、代表曲「生活の柄」など約1時間にわたって15曲ほどを歌った。

 この日は町内のホテルに宿泊したが、深夜にさらに体調が悪くなり、救急車で隣の釧路市の病院に運ばれ入院。その直後、意識が混濁したらしい。東京から夫人も駆けつけたが、意識が戻ることはなかった。16日未明に息を引き取った。享年56。

「旅先で突然亡くなるとは、何とも渡さんらしい」。訃報を聞いたとき、私はそう思った。前年の2004年に音楽ドキュメンタリー映画「タカダワタル的」が公開され話題になっただけに、一度は取材したいと思った人だった。

 亡くなった翌日の夕刊。朝日新聞は社会面の訃報の中でこう表現した。

《社会や人間のせちがらさ、悲しみを、逆説的でとげのある歌詞に乗せて歌った》

 とげ? ははーん。この記者は、あまり渡さんのことを知らないな。「とげ」というのはあまりにも直接的な言い方ではないか。一読、私はそう思った。その「とげ」には、人間への深い信頼感や包み込むような愛が含まれていたのに。私なら素直に「風刺の利いた社会派テーマをユーモアあふれる歌詞に乗せて歌った」と書いただろう。まあ、どうでもいい。渡さんも気にはしないだろう。

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