PL学園のプロ監督は意外と少ない…楽天・今江敏晃は中日・立浪、西武・松井に続き何人目か?
選手に寄り添う監督
PL出身で一軍監督を務めた第1号は2010年横浜ベイスターズの尾花監督。2人目は19年楽天の平石洋介監督(43=現埼玉西武コーチ)で、22年の中日・立浪和義監督(54)、23年・埼玉西武・松井稼頭央監督(48)と続く。
63年(選手登録は64年)に第1号のプロ野球選手を輩出したのに、OB監督誕生まで50年近くも要している。前出の元プロ野球スカウトが言う通り、監督や指導者に向かない選手が多かったのだろうか。成績で見ると19年の平石監督の3位がPL出身監督の最高順位ではあるが、1年限りで監督を外され、楽天を退団することに。尾花監督は2年連続最下位で3年契約を待たずに休養(解任)された。松井監督は就任1年目の今季は、「走魂」をチームスローガンに掲げ機動力野球を目指したが5位。立浪監督も2年連続最下位で、3年契約の最終年となる来季がどうなるか、である。
「PLは強豪校だったので、戦力的に相手に劣るところがなく、劣勢の試合展開は少ない。試合の流れを掴む力はあっても、劣勢の試合を変える戦術を経験してこなかったのかもしれません」(ベテラン記者)
PLの場合、平日の練習は授業の終わった午後3時過ぎに全体練習が始まり、6時ごろにはいったん練習を終了。部員たちで夕食を摂り、そこからまた練習を再開させる。練習再開と言っても「自主練」で、体育館に行ってティー打撃をする者もいれば、グラウンドに戻って守備練習をする者など、人それぞれだった。自主練メニューは各自で考える。自分に何が足らないのか、それを補うためにはどうすればいいのかを考えて、3時間強を過ごす。メニューの可否は誰も教えてくれない。サボっても咎められることはなく、才能を伸ばせるかどうかを含め、全ては自己責任だった。自主練の成果は全体練習で問われる。成果を上げられない者は試合に出してもらえない。
清原和博氏(56)、桑田真澄巨人二軍監督(55)の「KKコンビ」が生まれた31期。そして立浪監督、野村弘樹氏(54)、橋本清氏(54)、片岡篤史・中日ヘッドコーチ(54)と4人のプロ選手を輩出し、1987年に春夏連覇を成し遂げ「最強」の異名を取った33期の選手がいた頃のPL硬式野球部といえば、全寮制で軍隊のような生活だったと、清原氏はじめ多くのOBが証言している。
特に1年生は掃除、洗濯、食事の世話など、上級生に対して野球以外で神経を使うことも多く、体罰やいじめもあったという。
「今江監督がキャプテンを務めていた3年生の夏、部内で3年生による下級生への暴力事件が明るみに出て、甲子園に出場できませんでした。同級生の行き過ぎた後輩への指導を止められなかったんです。寮を抜け出した後輩がいて、その両親から学校に連絡が入ったんです。学校が調査したら、今江監督たちが知らなかった話も出てきたそうで。遊撃で注目選手だっただけに、本人も残念に思っているはずです」(関係者)
悪夢の夏を乗り越え、自主トレを重ねてプロへ(ロッテ)進んだ今江監督。もともと、監督志望は強く持っていた。楽天で現役引退後も、ファームコーチの要請を快諾したのもそのためである。監督就任会見では、元ロッテ監督のボビー・バレンタイン氏(73)のことにも触れ、
「チームはファミリーだと言って接してくれました。家族のように信頼できるチームにしたい」
とも語っていた。果たして、どんな指揮官になるのか。