日本シリーズで「松坂大輔」にとどめを刺した意外な伏兵も…チームを日本一に導いた“3人の脇役たち”

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「目をつむって振ったのかもしれない」

“江夏の21球”伝説が生まれた1979年の日本シリーズ第7戦。1点リードの最終回に江夏豊の21球をリードした広島の捕手・水沼四郎は、バットでも貴重な一発を放ち、日本一に貢献している。

 広島、近鉄ともに3勝3敗。どちらが勝っても球団創設後初の日本一となる頂上決戦は、広島が序盤に2点をリードすれば、近鉄も5回に平野光泰の2ランで同点と、がっぷり四つの熱戦が続く。

 雨が降りはじめた6回、広島は2死一塁で、8番・水沼が打席に立った。

 柳田豊の渾身のストレートに「まったく手が出せない」と感じた水沼は、狙い球をカーブに絞る。「“1、2の3”。目をつむって振ったのかもしれない。柳田の投球動作のタイミングだけに合わせた私のバットに向かって、肩口からスルスル曲がってくるボール。柳田が投げたカーブをドンピシャで私のバットが弾き返した」(自著「江夏の21球をリードした男」 ザ・メディアジョン)。

「入れ!入ってくれ!」と念じながら一塁に向かって全力疾走する水沼の思いが天に届いたかのように、打球は左翼席に突き刺さる勝ち越し2ランとなった。だが、近鉄もその裏1点を返し、9回にも江夏から安打と2四球で無死満塁と一打逆転サヨナラのチャンスをつくる。

「いつやるんだ?」

 絶体絶命のピンチにも、水沼は冷静さを失わなかった。1死後、スクイズが予想される場面で、中央大の2年後輩で寮でも同室だった次打者・石渡茂に「いつやるんだ?」とカマをかけると、ふだんなら軽口で返してくる石渡が押し黙ったまま。スクイズを確信した。そして、1ボールからの2球目、三塁走者・藤瀬史朗がスタートを切る。

 すでに江夏は投球動作に入ろうとしていたが、水沼はすぐに立ち上がってウエストを指示。江夏も阿吽の呼吸で、カーブの握りのまま外してきた。今も語り継がれる伝説のハイライトシーンである。

 スクイズ失敗で2死後、石渡も三振でゲームセット。攻守にわたってチームを日本一に導いた男は試合後、「9回の場面? もうそんなことはいいじゃない。全部忘れてしまった。しかし、この(空振り三振の)ウイニングボールは忘れたりせんぞ」と語っている。

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