「ここは地獄」ガザに残る「国境なき医師団」日本人スタッフの証言 「助けられるはずの命が失われる」
「安全な場所などひとつもない」
現在、白根さんはガザ南部に避難しているという。
「空爆が始まった7日は、夜中に爆撃音で目が覚めました。慌てて窓の外を見ると無数のミサイルが飛んでいた。地下室に避難し、そこで3日間を過ごしました」
イスラエルによって南部への退避勧告が出た後は、
「日本人を含む他のスタッフと一緒に、最低限のものを入れたリュックひとつだけを持って、着の身着のまま車で避難しました。避難場所も転々とし、今は南部のある施設の敷地内で野宿をしています。コンクリートの上で、マットレスや毛布を敷いて寝、食料はパンや缶詰ですが、それも現地のスタッフが外を探し回って買ってきてくださったものです。避難している方々からは会う度に“診てくれ”と懇願されるのですが、医療器具を持ってきていないのでそれもできず、本当に心苦しい思いをしています」
逃げろと言われても逃げる場所がない――これがガザの現状で、
「どこも避難民で溢れてしまい、しかも空爆が続く。安全な場所などひとつもありません。逼迫(ひっぱく)した状況です。それは子どもであろうと妊婦さんであろうとお年寄りであろうと一緒。守られるべき人すら守られていないのが今のガザなのです」
保育器の中の新生児も命の危機に
現地に残る日本人の中には、日本赤十字社のスタッフもいる。同社は医療支援でガザの病院に日本人職員を派遣している。現在、職員は病院とは別の場所に避難しているというが、同社に聞くと、安全は確認されているとした上で、
「“どこにも逃げ場がない”“停戦合意はされたのか。戦争はいつ終わるのか”との声が届きます。停戦を手伝ってほしいとも切実に訴えられます」
派遣先の病院の環境も厳しい。
「安全な場所を求めてきた人々が押し掛け、一時、院内に8千名の避難民がいる状況でした。電力の供給が停止しており、現在は発電機に頼っていますが、保育器の中の新生児や酸素吸入の高齢患者、透析患者も命の危機に陥っています。下水処理場5カ所のうち4カ所が停止中で、排水処理も機能せず感染症まん延のリスクも出始めています」
一言で言えば、すべてが“限界”に達しているのだ。
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