「ハマス奇襲」を見て韓国が慌てだした 「融和策が“北朝鮮奇襲”を呼ぶ」VS「“力による平和”こそ危険」の対立
奇襲するのは北朝鮮だけ
――左派は「言われっぱなし」ですか?
鈴置:もちろん、言い返しました。ハンギョレは10月16日、2本の反論記事を載せました。国際基督教大学(日本)の徐載晶(ソ・ジェジョン)教授が寄稿した「『南北軍事合意停止』…北朝鮮軍を助ける『無知な主張』が横行する韓国」(日本語版)は、9・19南北軍事合意への保守の非難に反論しました。書き出しは「一言で言って『無知』だ。知識や見識がない」です。ポイントを引用します。
・この合意は南北に対して公平に適用される。東部では軍事境界線から南に40キロメートルまで、西部では20キロメートルまでの地域で固定翼機の飛行が禁止されているが、軍事境界線から北にも同じ範囲が飛行禁止区域として設定されている。
・韓国軍の前線監視が難しくなった分だけ、北朝鮮軍の監視活動も制約を受けているのだ。韓国軍だけが不利益を受けているかのように言うのは愚かだ。
――この反論で国民を説得できたでしょうか?
鈴置:説得された人は少ないでしょう。空中偵察は軍事境界線ギリギリの自国領土の高空に偵察機を飛ばす作戦です。相手の地上軍の配置に変化がないか、観察することで奇襲を防ぐのが目的です。
しかし、北朝鮮空軍は燃料不足により南北軍事合意以前から偵察機を飛ばせなくなっていた。合意で偵察力が落ちたのは韓国側だけなのです。実態から見れば「公平」ではありません。
そもそも、韓国側は戦争を望んでいない。せっかく豊かに住みなしているのに、戦争を始めれば今の生活を失ってしまうからです。当然、奇襲をかける必要もない。奇襲攻撃を狙うのは貧しさにあえぐ北朝鮮側だけです。南北双方の空中偵察への制限で、一方的に不利益を被るのは韓国なのです。
尹錫悦はネタニエフ
同じ10月16日にハンギョレが載せた文正仁(ムン・ジョンイン)延世大学名誉教授の「[寄稿]イスラエルの悲劇が韓国に与える教訓」(日本語版)は、もう少し「それらしい」論文でした。
文正仁氏は文在寅政権時代に大統領の統一外交安保特別補佐官を務め、9・19南北軍事合意を含む対北融和政策の立役者でした。一時は駐米大使に擬せられたものの米政府から拒否された、と報じられています。
文正仁教授は寄稿で「独善と傲慢の政治を続けてきた」ネタニエフ政権がハマスの奇襲を呼んだ、という論理を展開しました。
――なぜ、独善と傲慢が奇襲につながるのでしょうか?
鈴置:文正仁教授は「ネタニエフ政権の失敗」を以下のように説明しています。
(1)ハマスの意図と能力を過小評価していた。
(2)ガザ地区への圧迫強化がハマスの反発を加速した。
(3)司法府の権限縮小などネタニエフ政権の独裁化が国内の二極化と政情不安を呼び、ハマスの軍事的冒険主義をもたらした。
以上は中東専門家なら誰でも言いそうなことですが、ここから一気に尹錫悦政権批判に転じるのが文正仁教授らしいところです。
・イスラエルの惨劇が韓国に残す教訓は明白だ。情報体系と[北朝鮮の核攻撃に対抗するための]3軸体系に対する過信は禁物だ。北朝鮮はいつでも、わずかな隙に付け入り、我々に打撃を与えうる。
・北朝鮮の内部崩壊の可能性に頼る一方的な圧迫戦略は激しい反発につながり、最終的には破局的な結果をもたらしかねない。北朝鮮は一介の武装組織ではなく、核能力を保有した脅威となる勢力だ。
・政府に批判的な韓国内の人々を反国家勢力とレッテルを張る分裂の政治は、内部の団結を損ね、国家安全保障の毒素になるだけだ。我々の敵対勢力は我々の分裂という滋養分で育つ。
治安の悪化は警察のせい?
――「ネタニエフの失敗」を強引に「尹錫悦の失政」にすり替えましたね。
鈴置:ええ、韓国人の我田引水能力には感心するばかりです。そして文正仁教授は「力による平和は危険だ」という原則論を掲げました。
・戦争の予防は戦争での勝利よりも重要だ。イスラエルの事例はこの平凡な真理を再確認させる。多くの罪のない命を無残にも犠牲にした後の勝利は、果たして誰のための勝利なのか。「力による平和」という独断と傲慢から抜け出し、現実を直視すべきということが最も重要な教訓だろう。
左派はメディアだけではなく、国会でも「力による平和」を非難しました。10月27日、軍事合意の見直しを主張する申源湜国防部長官に「共に民主党」の李在明代表が「北朝鮮に対し制圧一辺倒というのはバランス感覚を欠く。これは質問ではなく警告である」と迫ったのです。
これに対し、申源湜長官は「世相が乱れるのは警察の防犯活動のためではなく、強盗のせいだ。警察のせいにするのは本末転倒だ」と一蹴しました。
――文正仁教授や李在明代表は韓国人を説得できたでしょうか?
鈴置:左派は「その通り!」と考えたでしょう。一方、保守の人々は「やはり、北の使い走りだな」と憤激したと思います。
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