フランスで毒殺未遂の報道…プーチンは絶対許さない反戦「女性ジャーナリスト」、明らかにされた決死のロシア脱出劇
パリで会見
「やがて彼女たちは国境を越え、ウクライナに入りました。彼女を拒否したウクライナを、あえて選んだのかもしれません。そこで待つ支援者と、ようやく合流できたのです。後にロシア内務省は、オフシャンニコワさんを指名手配しましたが、時すでに遅しでした。10月5日、彼女はTelegramに動画を投稿して脱出を公表し、自身の無実とプーチン大統領を裁判にかけるべきだと訴えました」
年が明けて今年2月10日、オフシャンニコワさんはRSFのクリストフ・ドロワール事務局長とともにパリで会見に臨んだ。彼女はロシアを脱出する際、車が止まって徒歩になった時のことを振り返った。
オフシャンニコワ:私たちは夜、国境を見つけるまで何時間も歩きました。携帯電話のネットワークもなく、星空を頼りに道を見つけようとしていましたが、諦めかけた時もありました。刑務所に入ったほうがいいかも、とさえ思いました。
ドロワール事務局長:有名なベルリンの壁越えを彷彿とさせる脱出は、諜報機関によるものではありません。彼女がどこからフランスに入国したかも言えません。フランスではまず、田舎の一軒家を用意しました。買い物などもRSFが行っています。彼女がテレビでプラカードを掲げた翌日、マクロン大統領は「彼女のフランスへの亡命を認める」と言いました。彼がこの約束を守ってくれたのは素晴らしいことです。
10月4日、ロシアの裁判所はオフシャンニコワさんが欠席のまま懲役8年6カ月の判決を下した。
「結局、彼女や関係者の安全のため、ウクライナからフランスへどうやって入国したのかは今も明らかにされていません。せっかくパリに来たのですから、反戦運動は続けつつも、くれぐれも身の安全に気をつけて欲しいと思います」(前出のパリ在住ジャーナリスト)