フランスで毒殺未遂の報道…プーチンは絶対許さない反戦「女性ジャーナリスト」、明らかにされた決死のロシア脱出劇
脚には電子監視器
「このメッセージは瞬く間に世界中に拡散されました。生放送の翌日、モスクワの裁判所は3万ルーブル(約4万8000円)の罰金を科し、彼女を釈放します。すると彼女は、ロシアを出てウクライナのオデッサに向かいました。彼女はオデッサの出身で、そこでウクライナ人の父とロシア人の母の下に生まれたからです。ところが、ウクライナ人は彼女をロシアのプロパガンダの手先だと思い認めませんでした」(以下、前出のパリ在住ジャーナリスト)
ロシア第1放送を辞めた彼女は、翌月の4月からオデッサでドイツの日刊紙「ディ・ヴェルト」のウクライナ特派員として働いていたが、その後、契約解除を余儀なくされたという。
「彼女は7月にロシアに帰国してからも1人で反戦デモを起こすなど政府批判をやめず、8月10日に『ロシア軍に関する虚偽の情報を広めた』との容疑で家宅捜索を受け、身柄を拘束されました。そして、判決が出る10月9日まで自宅で軟禁状態にするとの決定が下されました。裁判では懲役10年の判決が下される可能性があり、彼女の弁護士はロシアからの脱出を何度も勧めたそうです。しかし、彼女の脚には電子監視器をはめられていたそうです」
その間、密かに動いていたのが、フランスに本部を置く国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団(RSF)」だった。
車を乗り継ぎ国境へ
「そもそもRSFのクリストフ・ドロワール事務局長は、オフシャンニコワさんがテレビで反戦活動を起こした5日後に彼女との接触に成功、援助を申し出ていたそうです。彼女が自宅に軟禁されると、仲介者から“亡命の意思”があることを告げられました」
RSFはオフシャンニコワさんを助けるため“エブリーヌ(フランス女性の名)作戦”と名付けた亡命チームを組織した。そして2022年9月30日の夜、チームが動いた。
「脱出するにあたり、GPSも付いている電子監視器を外したかったのですが、彼女が自宅を出るまでそれはできませんでした。自宅では彼女の母親が監視していたからです。オフシャンニコワさんは後に『母の監視は警察よりも厳しかった』『母は私を投獄すべきだと考え、プーチン大統領にソ連を回復して欲しいと願っている』と語っています。ロシアには未だに、プーチンの発言を鵜呑みにしている人も少なくないということです」
亡命チームは彼女とその娘を車に乗せ、国境を目指した。
「敵の目を欺くため、何度も車を乗り換えて移動しました。2台目の車両に移る際、よく切れるペンチで電子監視器を切断し、ようやく外すことができたそうです」
さらに5台、計7台を乗り継いで、国境が間近に迫った時、車がストップする。
「畑にはまってしまい、動かなくなりました。仕方なく車を捨て、そこからは歩いたそうです」
サーチライトが何度も彼女たちをかすめた。
[2/3ページ]