結婚すると予定外の妊娠で退職した妻 47歳夫がその時、抱いた“疑念”は夫婦関係の終わりの始まりだった

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 自分が異性を好きなのか同性を好きになる可能性もあるのか、それがなかなかはっきりしない人が世の中にはいるようだ。自身の性自認も、恋愛対象の性別も、今の時代、「男か女か」と2分できるものでもないのかもしれない。

 大村滋明さん(47歳・仮名=以下同)は、人材関係の小さな会社を経営している。「小さな」は本人談で、共通の知人に言わせると「かなりの売り上げがある優良会社」だそう。スタッフ30人はすべて正規雇用で、誰もが働きやすい会社を目指しているという。

「もともと僕は3代目、しかも親からではなく叔父から受け継いだ会社なので、のんびりやれればいいなと思っているだけなんです」

 端正な顔立ち、中肉中背の引き締まった体つきの滋明さんは、穏やかな笑みをたたえながらそう言った。叔父に子どもがいなかったために継いだ会社だというが、親との関係はどうだったのかをなにげなく聞くと、急に顔が曇った。

「親父は冷たい人間でしたね。総合すると、その一言しかありません。僕には兄と妹がいるんですが、兄は第一子ということもあって親父からかわいがられた。妹は女の子だから、やはりかわいがられた。僕は兄と比べると成績もイマイチだったから、小学生のときから親父には見放されていました。母は不思議な人でした。ふだんはまったく母親らしいことはしないし言わないんだけど、困るとそっと手を差し伸べてくれる。兄と妹は母を嫌っていましたが、僕はそんな母が好きでした」

仲良しだった叔父

 母の実家は、大きな工場を経営しており、結婚後も母はその会社の役員として仕事をしていた。父は実家こそ会社を経営していたものの、自身はごく普通のサラリーマン。神経質で、よく母にもグチグチと文句を言っていた。母はそんな父を相手にしていないように見えたと滋明さんは言う。

「僕は父の弟である叔父と、子どものころから仲良しでした。でも父は叔父を毛嫌いしていた。叔父は物腰の柔らかい優しい人で、常にピリピリしている父とは大違い。高校生のころ進路に悩んで叔父に相談したときも、『家のことなんか考えないほうがいい。シゲにはシゲの人生がある。好きなように生きなさい』と言ってくれた」

 滋明さんが大学生のころ、祖父が会社を次男である叔父に譲った。そのときの父の荒れようを彼は今も記憶している。泥酔して帰宅した父は、「どうしてあんなできそこないに」とブツブツつぶやいていた。

「母はそんな父に、『会社を譲ってほしければちゃんとアピールすればいいのに。サラリーマンでいいのなら、文句は言わないほうがいい』と火に油を注ぐような発言をして父を激昂させていました」

 祖父がどうして次男である叔父に会社を譲ったのか滋明さんにはわからなかったが、20歳を越えてから、叔父とはたびたび飲みに行くようになり、ことの真相も聞くことになった。

「もう叔父も亡くなったので言えますが、叔父は同性愛者だったんです。まだまだ社会的な差別が激しかったから、祖父は叔父の将来を心配していたらしい。しかも叔父は経営者として祖父のメガネにかなった。祖父も実直で社員思いの経営者だったから。叔父は少し恥ずかしそうにそれを告白したんですが、僕は、へえ、そうだったんだと受け流しました。『シゲはびっくりしないんだ』と叔父が言うから、『別に。だって叔父さんは叔父さんだから。それだけのことでしょ』と返しました。本当にそう思っていたから。高校生のときに親しくしている友人からカミングアウトされたこともあるんですよ。そのときも『えーっと、だから?』と言って友人に笑われました。普通、もっと驚いたり深刻になったりするよって。彼が僕を信頼して話してくれたのはうれしい。でもそのことで僕の彼を見る目が変わることはない。そう伝えました」

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