日本シリーズ、伝説の“代打サヨナラ満塁本塁打”を打った男 元ヤクルト「杉浦享」の野球人生を振り返る!

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野村監督が告げた「代打・杉浦」

 だが、池山隆寛、広沢克己らが台頭した89年以降は出番が減り、代打の切り札的存在に。ちょうどそのころ、筆者は滞在中のサイパンのホテルのプールサイドで開催されたクリスマスパーティの席で、偶然一家団欒のひとときを楽しむ杉浦を見かけた。おそらく、「家族のためにも、もうひと頑張りしなければ」と決意を新たにしたことだろう。

 しかし、選手生命を賭けて臨んだ92年は、開幕直後に右足ふくらはぎの肉離れで離脱し、腰痛も追い打ちをかけて、2軍暮らしが続く。右肘と左膝も水が溜まった状態で、体はボロボロだった。

 すでに40歳。「今度こそ、もうダメだ」と覚悟した9月上旬、野村克也監督から「上がってこい」と声がかかった。南海監督退任後、一兵卒として入団したロッテと西武で控え選手の悲哀を味わった野村監督は、力の衰えたベテランにやる気を起こさせれば、チームにとって大きなプラスになることを、よく知っていた。

「最後の恩情だと思った」と意気に感じた杉浦は、数少ない14年前のV経験者として「1度でいいから、何とか恩返しを」の一念で1軍に合流した。だが、チームは129試合目で優勝を決めたものの、復帰後の杉浦は代打で7打数1安打1打点に終わり、「打席に入った自分が情けない。体が言うことを聞いてくれない」と「引退」の2文字をはっきり意識した。

 にもかかわらず、野村監督は西武との日本シリーズでも杉浦をベンチに入れ、3対3で迎えた第1戦の延長12回裏1死満塁のチャンスに「代打・杉浦」を告げた。

「やっとひとつ恩返しをすることができたよ」

「最後まで監督は使ってくれた。こんな大事な場面。みんながつくったチャンスに何とか仕事しないと」と気合を充実させて打席に入った杉浦は、鹿取義隆に2ストライクと追い込まれながらも、「気持ちで負けてはいけない」と3球目の内角高め直球をフルスイング。

「完璧な当たりだった」という打球は、日本シリーズ史上初の代打サヨナラ満塁本塁打となって、右翼席に吸い込まれていった。40歳4ヵ月の本塁打は、1986年の広島・山本浩二の39歳11ヵ月を更新するシリーズ最年長弾でもあった。

「ホント涙が出てきたよ……震えちゃった。これで監督にやっとひとつ恩返しをすることができたよ」

 打球が上がった瞬間、思わずベンチのイスから立ち上がった野村監督も「杉浦なら何とかしてくれると思った。打った瞬間、勝ったと思ったよ」と賛辞を惜しまなかった。

 同年、ヤクルトは3勝4敗で惜しくも日本一を逃したが、杉浦は「悔しくて辞められない。ボロボロになるまでやって、もう1度日本一を目指す」と現役続行を宣言。翌93年に悲願の日本一を達成し、23年間の現役生活のフィナーレを飾っている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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