実刑判決から40年…田中角栄が教える“正しい札束の配り方” 側近議員は「俺が運んだのは1億円」

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100万円が必要なら300万円渡す

 単に金を渡すだけでなく、相手に親身に寄り添うことで、角栄は何倍もの費用対効果を得ていたことになる。しかも、角栄はこうした配り方を党派や派閥に関係なく、あらゆる人々に行っていた。改めて渡部氏が言う。

「オヤジのもとには、子飼いの新聞記者や田中派の秘書軍団などを通じて、与野党議員の女性スキャンダルや金銭トラブルなどの情報が入って来た。だから、“あの議員が愛人に脅されている”なんて話を聞くと、オヤジは向こうから助けを求めてくる前に渡しに行く。党派も派閥も関係ない。あるのは“困っているなら力になるよ”という気持ちだけ。国会でオヤジを金権だの何だのと批判していた野党の大物のところに持って行ったこともある。解決に100万円が必要なら300万円、300万円が必要なら500万円という具合に、いつも多めに渡すのもオヤジの流儀だったな」

 分け隔てをしないのは、幹事長時代に配った選挙の際の裏金も同様だった。

「あの当時、角さんはまだ佐藤派の所属でしたが、ライバルの福田派や三木派、中曽根派が推した候補者にも渡していました。苦しい選挙戦の最中だけに、こうした“実弾”はどの議員も助かったはず。でも、こういう気遣いができた方は、私が仕えた22人の幹事長の中で、後にも先にも角さんだけでしたね」(奥島氏)

 派閥や政党にこだわらず、札束を配りまくった角栄には、どんな狙いがあったのか。30年以上前に角栄の番記者を務めた新潟日報社の小田敏三社長(66)は、次のようにその意図を推し測る。

「角さんは常々“味方は2人でいい。広大なる中間地帯を作れ。敵は1人でも少なくしろ”と言っていました。その意味は“人は何か事を為そうとする時ほど、味方を増やそうとする。ところが、そういう奴に限って敵も増やす”というものです。日頃から、少しでも自分に好意を持つ中間層を増やしておくことが大事だと言いたかったのでしょう。与野党を問わず金を介した“お付き合い”をしたのは、そういう意識があったからではないでしょうか」

 角栄に限らず、永田町で最高権力者の座を目指す議員にとっては、同じ党の同僚とて、決して「味方」とは言い切れない。ましてや、角栄が生きた当時は「三角大福中」と、角栄率いる田中派をはじめ、三木派、大平派、福田派、中曽根派などの各派閥が死闘を繰り広げた時代である。

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