実刑判決から40年…田中角栄が教える“正しい札束の配り方” 側近議員は「俺が運んだのは1億円」

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「こんなもの、あって邪魔になるもんじゃない」

「初めて総選挙に出馬した時、幹事長だったオヤジは俺に公認をくれなかった。だから、無所属で当選はしたものの、俺も後援会も“田中憎し”で凝り固まっていたんだ。ところが会津若松から上京して上野駅で降りたら、金丸(信)副幹事長と竹下(登)国対副委員長が改札の外で待っていてね。竹下は早大雄弁会の先輩だし、金丸はその盟友で党の幹部。その二人が改札を出たところで“幹事長が会いたいって言ってるから案内するよ”って言うわけよ」

 黒塗りの車に乗せられ、着いた先は永田町の自民党本部だった。

「オヤジは“おめでとう、おめでとう”って言いながら、公認証書を“受け取ってくれ”って取り出した。でも、俺はムスッとしたまま“幹事長さん、これを選挙の前に頂いていたら、ここで土下座して感謝したでしょう。でも、選挙は終わりました。もう、こんなものは紙切れです”って言って、その場でバリッと破いちゃった」

 普通なら、ケンカになってもおかしくない場面だが、

「オヤジは顔色一つ変えないで、“お前ね、親心というのを知らないんだな。お前を当選させたいために公認しなかった、この俺の気持ちが分かるか?”って言うんだよ」

 実は、この時の渡部氏の主な得票は、独自候補がいなかった、民社党と公明党の支持者からのものだった。

「だから、俺が自民党の公認を受けていたらその票は入らず落選していたというわけ。そこまで調べているのかと感心していたら、オヤジはおもむろに“これは公認料だ”と言って金庫から茶色い包みを出してきた。そのままで差し出されていたら、俺は絶対に受け取らなかった。ところがオヤジは包みをパーッと破いて100万円の束を三つ取り出して、“こんなもの、あって邪魔になるもんじゃない”って、俺の上着のポケットに入れちゃったんだ」

 それは渡部氏に断る隙を与えない、絶妙なタイミングだった。

「俺の失礼な態度に腹を立てるでもなく、少しも偉ぶらない。自然と懐に入ってくる人間味に俺は一遍で惚れちゃった。あれこそ“田中角栄”の真骨頂だった」

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