野村克也に「日本野球を変えた」と言わせた外国人選手とは? 「サイクル安打」も日本に紹介(小林信也)
野村克也が「日本の野球を変えた選手」と認めたのが、1964年阪急ブレーブスに入団したダリル・スペンサーだ。来日時に空港で、
「私は阪急を優勝させるために来た。私のバットと頭脳で必ず実現する」
とスペンサーが言った時、大半の報道陣は失笑した。当時阪急は優勝に程遠い弱小球団だったからだ。
翌65年から巨人の9連覇が始まるが、3年目の67年から3年続けて日本シリーズで巨人の前に立ちはだかり、V9時代最大のライバルとなったのが阪急だった。スペンサーは来日時の約束どおり、阪急をパ・リーグの覇者に変貌させた。
地方に住む少年だった私がまだ外国人と接する機会がほとんどなかった当時、外国人はどこか恐れを感じさせる存在だった。加えてスペンサーは身長190センチと大きく、どう猛にさえ見えた。上体をかがめたクラウチング・スタイルから強打をかっ飛ばす姿はもちろん、その激しいスライディングは少年の心を震え上がらせた。
(本場の野球はここまで激しく戦闘的なのか)
もっとも当時、パ・リーグの試合を映像で見る機会はほとんどなかったから、スポーツ新聞や野球雑誌で得た情報ではあった。それでもなお〈スペンサーの猛烈なスライディング〉は野球ファンの間で恐怖の的だった。
オリオンズ・小山正明から連続死球を受けたあと、三塁に滑り込む際、「三塁手山崎裕之を3メートルも吹っ飛ばした」という伝説さえある。しかもスペンサーはわざとスパイクの歯を野手に向け、まともに受ければ大ケガをする格好で野手を威嚇した。
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