中国「李克強」前首相死去で完成した習近平「独裁体制」 死から発表まで「空白の8時間」に話し合われた謀議の中身

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 10月27日、中国の李克強・前首相が68歳の若さで死去した。2013年に首相に就任後、今年3月に退任するまで10年にわたり中国の経済政策を牽引してきた“功労者”に対し、中国の国営メディアは当初、その訃報を淡白に伝えるのみだった。その裏には「ライバルの死」によって独裁体制の完成を目指す、習近平・国家主席の企みがあるという。

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 中国共産党機関紙「人民日報」によると、李前首相が死去したのは27日午前0時10分(中国時間)。上海で療養中だったが、突然の心臓発作に見舞われたという。しかし同紙が死去の一報を流したのは8時間以上経った、午前8時25分だった。

 中国事情に詳しい、インフィニティ・チーフエコノミストの田代秀敏氏が言う。

「李氏の死去から一報まで時間がかかったのはその間、発表の仕方について習氏を筆頭に党の最高幹部が集まって検討が重ねられたからではないかといわれています。中国では党幹部や重鎮の訃報は政治的に非常にセンシティブな問題として扱われ、訃報のタイミングや内容について党中枢の意向が反映されても何ら不思議ではありません。たとえば22年11月、江沢民・元総書記が96歳で亡くなった時、習氏はその日に自身がトップとなる葬儀委員会を立ち上げ、天安門や人民大会堂で半旗を掲げただけでなく、官庁のホームページや検索サイトも白黒表示にするなどして追悼ムードを演出。結果的に当時、各地で盛り上がりを見せ始めていたゼロコロナ政策への抗議活動は一気に沈静化しました」

 安徽省出身の李氏が繋がりのない上海で療養生活を送っていたことに驚きの声も上がっている。「北京には党幹部専用の病院が完備されているため、本人が北京にいるのを嫌がったか、上海の病院でなければ治療できない持病を抱えていた」(全国紙外信部記者)可能性などが取り沙汰されているという。

天安門事件も誘発

「他にも1989年、中国の改革開放の象徴で民主化にも理解を示していた胡耀邦・元総書記が急死した際、葬儀が元最高指導者に不釣り合いで簡素なものだと感じた学生らが抗議する事態に発展。のちの天安門事件を誘発するキッカケになったともいわれています。今回も、国民から人気の高かった李氏の死をないがしろにすると反発を招く可能性がある一方、持ち上げすぎると自身の影が薄まるというジレンマのなか、習氏を中心に淡々とした訃報にとどめるという折衷案に落ち着いたのではないかと見られています」(田代氏)

 人民日報など官製メディアが伝えた初報は短いものだったが、なかに「全力で救命に努めた」との一文が挿し込まれており、政権側の“配慮”の痕跡も窺えるという。

 もともと李氏は習近平の「最大のライバル」であり、自身の地位を脅かしかねない「目の上のタンコブ」でもあったとされる。北京大学法学部卒の李氏は「共産党エリートの頂点」に位置し、その優秀さから習氏も“切るに切れない”存在だったと伝えられる。

「李氏は首相時代、睡眠時間は長くて4~5時間、日本でいう官庁の課長クラスの官僚にまで直接詳細な指示を出し、また災害が起これば直ちに視察と慰問のため現地へと飛んだ。そうした生活を10年間、毎日続けてきました。現地の報道などを見る限り、今回の死が突然だったのは本当のようで、激務の日々を長く過ごした“代償”と指摘する声もあります」(田代氏)

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