伝説のストリッパー「一条さゆり」の生き方 “反権力の象徴”と呼ばれた異例の裁判闘争と釜ヶ崎での寂しき晩年
権力との闘い
1972年、大阪・吉野ミュージックでの引退興行中に現行犯逮捕。
「あと数日でストリップ界から離れるというときに……。あきらかに見せしめだった」
と、元興行師の川上譲治(73)は語る。
公然わいせつの罪で起訴されるが、起訴状の公訴事実にはこんなことが記されていた。いささか長いが、こんな感じである。
《 被告人は……(中略)観客約百八十人の面前で音楽に合わせ日舞を踊りながら順次着衣を脱ぎ、薄くて短い腰巻きまたは短いベビードール一枚の姿となり、中腰またはしゃがむなどの姿態で股を開き指で陰部をひろげるなどことさら陰部を露出し、もって、公然わいせつの行為をしたものである》
この文章を読んで、どこか不快に感じた読者も多いだろう。この起訴状のほうがよっぽどわいせつではないか、と言いたくもなる。
いずれにせよ、一条は「表現の自由」をめぐって最高裁まで争った。それもそのはず。いわゆる「トクダシ(特出し)」と言っても、一条の場合は踊り手の真剣さや優しさがにじみ出ていて、感動のあまり涙を流していた観客もいたのだから。
法廷では「公共の場ならそれ(裸)を見たくない人も見てしまうという被害が発生するかもしれないが、見たい人だけがお金を払って見ているのだから、どこにも被害者はいない。被害者がいなければ犯罪は成立しない」。こんな弁護も繰り広げられたに違いない。でも、懲役6カ月の実刑が確定。和歌山刑務所に服役した。
社会通念が変容する中で、わいせつ性に関して司法当局は柔軟な判断を下すことができなかったのだろうか。厳しい懲役刑に対し、業界からは猛烈な抗議の声が上がった。
浅草フランス座の元支配人・佐山淳(1924~2001)は著書「女は天使である――浅草フランス座の素敵な人たち」(スパイク・1997年)の中でこう書いた。
《 オレも何度か捕まっているが、普通は2泊3日の警察署内の留置所暮らしで帰ってこられるものである。異例の長期実刑 判決であった》
公判中に一条は日活ロマンポルノ「一条さゆり 濡れた欲情」に出演し、話題となった。
「本来は謹慎していないといけないのに、ポルノ映画への出演が司法当局を刺激したのではないか」
と、佐山は語っていた。
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