裁判長に年齢を聞かれ「23歳」と答えたものの…87歳「袴田巖さん」の獄中手記が凄すぎる

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「人はいつか必ず死ぬ」の原点に立ち返った巌さん

 もう少し続ける。

《人間が死ぬ存在であることを、本当にその深い意味において知っている人こそ、本当に聖に善に生き貫いている人なのである。この人は何も束縛しない。束縛が罪であるからだ。

 ではこの世の極悪人とはどのような者を指すのであろうか。恐らく、生きていても死んでいる状態の人間であろう。

 もっと突っ込んでいうならば、要するに人のためには決して動かない人間を指すのだ。つまり人のために働くことのない人間の心は正(まさ)しく死んでいるのである。(中略)

 死が確実に迫った人に対して、励まし、希望や勇気を与えることは不当なのか。とするとこれこそ、本物の極悪人の生きざまではないか。神は人間によりよい生を与えている。

 人間は生きている限り、すべて使命がある。他からはどんなにつまらぬ人間に見えても、神にとっては貴重な存在に間違いはない。どんなに残忍でも、冷酷でも皆何らかの尊い使命を負うている。そして、その誰にも、神は人間として新しく生きる力を与えたもうている。(中略)

 死刑囚にとって今日の一日はあっても無くてもよい一日であったのだろうか。どうしてもなくてはならぬ素晴らしい一日であったろうか。もしくはなかった方がよかった一日であったのか、そしてまた、彼らは考えるであろう。今日のような毎日の積み重ねは何の意味もないと。自分の毎日の生活を大別すると、甚だないほうがよかったと思う日が多いのが獄中者に唯一共通するものである。しかしこのように少しでも生を意識すると自分の生活を大切にしようと思うようになる。

 するとおのずと一日と言えどもいい加減に生きてはならぬことを知る。前記の通り、私たち人間はすべて死ぬ、必ず死ぬ、事故か、病気か、老衰か、とにかく必ず死ぬのだ。今日より明日は死に近い。(後略)(7月19日)》

 絞首の恐怖の中でも自問自答しながら、人は必ず死ぬという原点に立ち返って、不自由をかこつ拘置所の中ですら一日たりとも無為に生きないことを決意する意志の強さに感銘を受ける。

 遡って5月6日にはこう書いている。

《良心は無実の人間の命を守る唯一の声である。暗く苦しい夜が長ければ長いほど、ひときわ声高く響く良心の声よ。暗鬱と悲痛と憤怒の錯綜した獄中十四年余、私を支えたのはその声だ。鶏よ、鳴け、私の闇夜は明るくなった。鶏よ、早く鳴け、夜がゆっくり明け始めている。》

 これだけの文章を書ける知性溢れる男が今、再審を担当する静岡地裁の國井裁判長に年齢を問われて「23歳」と答えるまでになってしまったのだ。

 弁護団はこの本も裁判所に提出している。現在との落差が裁判長によく伝わるだろう。

 2014年3月の釈放直後、筆者は巌さんが「富士山が」「松尾芭蕉が」「バイキンが」などと全く意味不明の発言を続けた記者会見に出席したが、その時は「今はかなり変だけど普通に生活していればそのうちに治るのだろう。そうなったらインタビューもお願いしよう」などと安易に考えていた。あれから10年近く経つが、残念ながらそうはならなかった。

 拘禁反応の影響の恐ろしさである。そしてなんという残酷さ。この残酷さへの思いを今こそ国民すべてが共有すべきだろう。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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