裁判長に年齢を聞かれ「23歳」と答えたものの…87歳「袴田巖さん」の獄中手記が凄すぎる

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 ついに「世紀の冤罪事件」の再審日程が決まった。弟の逮捕から57年余、いまだ「死刑囚の姉」のままの袴田ひで子さん(90)は「嬉しゅうございます」と相好を崩した。死刑判決が確定した翌年の1981年4月に第1次再審請求を申し立ててからも42年半が経った。その頃、40代半ばだったの袴田巌さん(87)は、一体どんな精神状態で拘置所生活を過ごしたのか。1966年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起きた一家4人殺人事件の犯人とされた巌さんと姉のひで子さんの闘いを追う連載「袴田事件と世界一の姉」の37回目。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

「絶対に無罪と信じています」

 再審の日程がついに決まり、初公判は10月27日に開かれることとなった。弁護団の見通しでは、以降、11月と12月に各2回、年明けの1月と2月に各2回、3月は3回の合計12回の公判が開かれる。結審は3月27日で6月か7月には判決となる見通しだ。

 最初の3回は巖さんを有罪・死刑とした確定審の証拠調べ、その後の2回は再審請求審の証拠調べ。1月と2月は証人尋問を行い、3月は結審まで3日連続で検察側の論告求刑と弁護側の最終意見陳述が行われる。証人尋問で弁護団は、「1年以上、味噌につけた血痕は赤みが残らない」とした新証拠の意見書を書いた旭川医大の教授らを呼ぶ予定である。

 2014年の静岡地裁の再審開始決定からも10年近くが経っている。1981年4月の第1次再審請求から42年半。ようやく決まった具体的な再審日程に、ひで子さんは「もう半年で裁判も終わると思うと嬉しい。来年3月には結審になり、それから何カ月かして判決が出る。絶対に無罪と信じています」と喜びを表した。

血痕の赤みが争点

 東京高裁は今年3月13日に再審開始の決定を下し、検察は最高裁への特別抗告を断念したが、7月には有罪立証する意思を明らかにした。「即時抗告審の蒸し返し」と反発していた弁護団は、9月26日に検察官意見書に対する反論の意見書を静岡地裁に提出した。

 争点は犯行着衣とされた「5点の衣類」が本当に巌さんの所有物で彼がタンクに隠したのかという点である。事件後1年以上経って見つかったとされた衣類の血痕が赤かったことから、弁護団は「赤いはずがない。発見の直前に捜査機関が放り込んだ捏造」とする。

 東京高裁での差し戻し即時抗告審で検察側は、血痕の色の変化を確かめる実験を行い、味噌に漬けても赤みが残ると主張した。一方の弁護側は、検察が写真撮影用の白熱電球で照らして撮影したため「白熱電球では赤みが強く見える」と指摘する。

 東京高裁の大善文男裁判長が自ら静岡地検の実験現場に立ち会い、実際は血痕に赤みが残っていないことを確認している。大善裁判長は再審開始の決定文で「警察官の実況見分の際(中略)、さらには元従業員が1号タンクから発見した際に、写真撮影用の白熱電球を照射したような状況下で5点の衣類を見たとは容易に想像できない」としている。

 5点の衣類を巌さんが隠したとすれば逮捕(1966年8月)前で、さらに新たにタンクに味噌が仕込まれるまでの20日間しかありえない。

 検察は「味噌タンクに空気がなかったため1年以上経っても血痕が黒ずんでいく変化が進行しなかった」とし、即時抗告審では脱酸素剤を入れた真空パックに衣類を詰めて実験した。弁護団は「十分な酸素がある環境だった1号タンクの条件とはかけ離れた、血痕の赤みが残りやすい状況設定をしていて不適当」と反論する。

 弁護団事務局長の小川秀世弁護士は「警察は袴田さんが犯人でないことを知りながら、真犯人を逃がすために証拠捏造を繰り返した酷い事件である」と断じる。1980年代の死刑囚4大冤罪事件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)とも全く異質の、国家権力が捏造した証拠を積み上げた恐るべき冤罪事件が、いよいよ裁かれる。

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