「頑張ってください」はNG…「四国遍路」への誤解、そのせいで起きているトラブルの数々を反骨の言語学者“F爺”が解説
問わず語りの身の上話
F爺には、そんなお遍路さんの問わず語りの身の上話を聞かせてもらったことが何度かある。
「両親の口論を別室で聞いているうちに、自分が父親に望まれずに生まれて来たことを知ってしまった」
「2011年3月11日に孫を三人とも津波に呑まれた」
「交通事故を起こして見も知らぬ人を死なせてしまった。このままでは成仏できない」
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決して嘘ではない表向きの理由
遍路に出て来た訳を訊かれたくないお遍路さんの用意する「決して嘘ではない表向きの理由」というものがある。「近親の供養のため」である。近親に故人のいない人なんて存在しないから、表向きの事情として重宝なのだ。
不治の病の人
お遍路さんの中には、昔は癩病(=ハンセン病)に侵されて故郷を追われた人も多かったと聞いている。遍路道は、行きどころのない人たちの受け皿にもなって来たのだ。ハンセン病は近年まで「不治の病」だったから、患者の絶望も深かったのだろう。行倒れたお遍路さんを埋葬した跡は、遍路道のあちこちに見つかる。
F爺は、ダウン症の若者に白装束を着せてその腕を引きながら歩いている中年の女を遍路道で見掛けたことがある。息子の難病平癒がその母親の見果てぬ夢だったのだろうか。叶わぬと決まっている願いを籠めて歩みを進める姿は、とても直視できなかった。
遍路道の不文律
遍路道には、「決してお遍路さんに『遍路に出て来た訳』を訊いてはならない」という不文律がある。本当の事情を話すわけに行かない人が多いと皆が知っているからだ。
ところが、近年、この不文律を無視する人の出現率が高くなっている。新聞記者とか遍路研究者とか名乗って、「なぜお遍路をするのか」という質問を仕掛けるのだ。
F爺も、何度かその被害に遭っている。「遍路道トレッキング」をする外国人の中にも、開口一番、「ナゼ、アナタハ、ヘンロヲスルノカ」と質問を浴びせるのがいる。F爺は、言下に返答を拒否し、その理由も説明する。
「遍路道を廻りっ放しの人」
四国には、遍路道を歩きながら食べ物や飲み物のお接待に頼って命を繋ぐ人がいる。呼び方は、多くは蔑称で、「似非(えせ)遍路」「偽(にせ)遍路」「門付け遍路」「ヘンド」「職業遍路」「ホームレス遍路」など。
F爺がこれまでに見聞きした「侮蔑の度合いの一番弱い」表現は、「廻りっ放しの人」と「生活遍路」である。
「廻りっ放しだった人」の中には、殺人未遂の指名手配犯もいたことがある。「幸月さん」か「幸月事件」をキーワードとしてウェブ検索すると、多数の記事が見つかる。画像入りのものもある。
白装束を着て詐欺を働いて新聞種になった女もいる。
四国遍路は、誰でもいつでも始めることができ、どこに届け出る必要も無く、どの札所を起点としても構わない。何回か何十回かに分けて繋ぎ歩きをしても良い。間口が広大であるため、逃亡者も入り込めるのだ。
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