【どうする家康】ムロツヨシが怪演 史上最恐の秀吉こそ本当の秀吉と言い切れる理由
百姓のせがれに生まれながら天下人に成り上がったヒーロー。豊臣秀吉はそう評価されることが多い。ひょうきんで愛されキャラだというイメージも色濃い。しかし、秀吉の好戦的な性格や、人を処分する際の仕打ちをみると、ある種の狂気を抱えた人間だったとしか思えない。その点、NHK大河ドラマ『どうする家康』でムロツヨシが演じた秀吉は、はじめて秀吉らしい秀吉だったといえるのではないだろうか。
ムロツヨシ版秀吉はあきらかな悪役で、「史上最恐」などと言われている。違和感をもった人もいたようだが、じつはあれこそが、さまざまな事績から私が思い描いていた秀吉像である。ムロの怪演のおかげで、はじめてドラマでほんとうの秀吉に出会えた気がする。
「狂気を抱えた」と書いたが、たとえばイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスは著書『日本史』にこう書いている。
「彼は自らの権力、領地、財産が順調に増して行くにつれ、それとは比べものにならぬほど多くの悪癖と意地悪さを加えて行った。彼はこの上もなく恩知らずであり、自分に対する人々のあらゆる奉仕に目をつぶり、このようなことで最大の功績者を追放したり、不名誉に扱い、恥辱をもって報いるのが常であった」(松田毅一・川崎桃太訳)。
日本の為政者とのあいだに利害関係がなく、したがって忖度する必要もないポルトガル人が、日本人に読めないポルトガル語で書いてこそ残せた感想である。成り上がっただけに、常に力を誇示していないと不安だったのではないか、というのは私は想像するが、ともかく論より証拠だと思うので、事例をいくつか史料から拾ってみたい。とくに人を惨殺した事例には、「狂気」のほかに言葉が浮かばない。
[1/4ページ]