【追悼・谷村新司さん】大好物は老舗喫茶店「さぼうる」のナポリタン900円 “庶民”の目線で名曲を作り続けたシンガー・ソングライターの「いい日旅立ち」
いつもナポリタンとコーヒーを
影山氏によると、谷村さんは大スターでありながら、オーラを決して表に出すことなくごく普通の人のように接してくれたという。そうした谷村さんの人となりは枚挙にいとまがない。
谷村さんとラジオといえば下ネタである。中高生がラジオのボリュームを下げ、あるいはイヤホンをして聴いたものである。
「若者が心をくすぐられるような下ネタも、谷村さんのあの声で話されると、どこか品が感じられました。決して野卑にはならない。それが谷村さんのトーク術です」(影山氏)
谷村さんには、渋い行きつけの店があった。それは、東京の神保町。ここに、昭和レトロな佇まいの老舗喫茶店「さぼうる」がある。およそ40年前から、谷村さんは通っていたという。あるとき、谷村さんの母が亡くなり、その葬儀にさぼうるの先代(3代目)マスターの故鈴木文雄さんが駆けつけた。それに谷村さんは心を動かされ、付き合いが深まったという。4代目マスターの伊藤雅史氏が振り返る。
「谷村さんは、地下1階の奥の席が定位置でした。当店はナポリタンが人気ですが、いつもナポリタンとコーヒーを注文してくださいました。席ではいつも曲作りなのかわかりませんが書き物をしていました。盆暮れには届け物を欠かさず送ってくれるような律儀な方でした」
庶民そのもの
さぼうるで谷村さんと隣り合わせの席になったことがあるという40代の女性は声をかけたことがあるという。
「“お昼ご飯ですか?”と話しかけると、“そうなんです、これ(ナポリタン)旨いですよね、ボリューム満点だし”と答えてくれました。丁寧な言葉遣いもそうですが、私もよく食べる900円のナポリタンを食べていることに驚きました。まるで私たちと同じ庶民のようでした」
神保町のコーヒーの名店「神田伯剌西爾(ぶらじる)」にも頻繁に顔を出した。
「おいでになったのは、ここ数年です。コーヒーをお飲みになり、よくお代わりされていました。週に3回いらっしゃることもあり、2時間ほどゆっくりされていました。ときどき、仲間へのお土産でしょうか、ケーキを10個ほどお持ち帰りになっていました」(神田伯剌西爾の竹内啓店長)
前出の影山氏は、「谷村さんは庶民的なのではなく、庶民そのものでした」という。だからこそ、多くの人に受ける名曲を生み出し、万人に受け入れられるサウンドが作れたのかもしれない。
「アリスや谷村さんの楽曲のギターコードは、難しくなくシンプルで素朴なものが多い。それは、谷村さんの人となり、生き方とリンクしています。それでいてあれだけの名曲を生み出したのは大変なことです」(影山氏)
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