【宝塚歌劇団】新興宗教、イジメ裁判、美人局…「美しくも清くなかった」黒歴史を元週刊誌記者が証言

エンタメ

  • ブックマーク

刑事でも民事でも

「2009年に、通称“宝塚音楽学校イジメ裁判”がありました。前年に入校したある生徒が些細なことを理由にさんざんイジメられた挙句、万引き犯に擬せられ退学処分を喰らったんです。生徒は、地位保全を求めて、足かけ3年にわたって学校側と裁判で争いました」(OB記者)

 この一連の裁判は、神戸地裁から大阪高裁までつづいた。だが最終判決の直前、不利を悟ったのか、突然、学校側が和解調停に応じ、退学処分は取り消されることになった。

「さすがに生徒は、もう歌劇団にまでは進みませんでした。たしかに本人にも落ち度はあったんです。それにしても、ここまで不祥事をなかったことにしようとする音楽学校や歌劇団側の体質には、ちょっと驚きましたね」

 さらにこのOB記者氏は、長年の宝塚関係の取材で、どうしてもあるキーワードが頭から離れないという。

「それは美人局〔つつもたせ〕です。1972年に発覚した、“宝塚始まって以来の不祥事”と呼ばれた事件がそれでした」

 当時の週刊新潮が《執行猶予になった圓千春のツツモタセ人生》(1972年5月6日号)で詳しく報じている。このとき世間が驚いたのは、事件の主役が現役のヅカガールだったことだ。

「一人の男性が、あるところで知り合った星組現役の圓千春〔まどか・ちはる〕と一夜をともにした。すると、別の男があらわれて『おれの婚約者を強姦してキズモノにしてくれたな。どうしてくれる』と金銭を要求。ほかの暴力団員もからんできて、最終的に男性は総額800万円を取られてしまう。後年、別件で男たちが逮捕され、すでに退団していた圓千春も芋づる式に逮捕されて事件が明らかになったのです」

 ただし彼女には同情の声も多かった。

「というのも、彼女はたまたま知り合った暴力団員に騙され、強制的に美人局をやらされていたのです。しかしそもそも、暴力団員と知り合うような生活をしていた時点で、本来のヅカガールとは思えない生き方をしていたわけです。このときも歌劇団内でイジメられ、そのウップンはらしだったのではとの噂がありました」

「そのほか、1988年には、“ヅカOG同性愛心中未遂事件”もありました。元男役のヅカOGが、退団後に経営していたダンス教室がうまくいかず、現役時代に親しかった元娘役と無理心中しようとして刃傷沙汰に至った事件でした。実はこの2人は、音校から歌劇団に入団はしたものの、なぜかすぐにやめているんです。もちろん才能の限界もあったでしょうが、歌劇団内の陰湿な雰囲気を嫌ったからだともいわれていました」

 かように退団後のOGが起こした事件でさえ、常に現役時代のイジメにまつわる噂がつきまとうのだ。

歪んだ伝統

 冒頭で紹介した朝日新聞記事で、2人のヅカOGが顔写真付きで登場し、こう“証言”している。

《「もう二度と戻りたくありませんね」「本科生に目を付けられないよう、ビクビクおびえる日々だった」「あれはハラスメントだった」》

 予科から本科へあがると《「被害者が今度は加害者になるという『負の連鎖』に、すぐに取り込まれてしまいました」》。

 そんな音校時代の「負の連鎖」は、歌劇団員となってもなくならない。記事中、あるOGは《「宝塚の伝統」「先輩も通った道」と自らに言い聞かせ、やられたことを繰り返してしまったことを、いまは悔やむ》と述懐している。

 しかし、自らの生命を絶たせるような「伝統」など、あるのだろうか。ジャニー喜多川の性加害といい、市川猿之助のパワハラ騒動といい、日本の芸能界における、あまりに歪んだ「伝統」は、もういくらなんでも見直されるべきではないのか。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。