「何もしない」が前衛芸術だった時代が懐かしい 禅も主張する「無目的な時間」の重要性
この間、初めて会った編集者から一冊の本をプレゼントされました。「何もしない」と題する本です。この編集者は、僕のエッセイを読んでくれていて、この「何もしない」は僕にふさわしいと思われたようです。僕もこの本の題名を見て、「おっ!」と思わず声をはり上げたような気がします。
「何もしない」、何んと魅力的な言葉だろうと思って、中を開いてみると、何んだか難しい言葉や概念でびっしり埋められているではないですか。「何もしない」じゃなく「何やらいっぱい」しているじゃないですか。...