「毒物で暗殺」「敵を拉致して死刑判決に」 イスラエルの最強情報機関モサドのすさまじい「実力」とは
モサドは何をしていた
イスラエルに対してイスラム原理主義組織ハマスが「奇襲」を仕掛けたのは10月7日のことだった。3千発以上ものロケット弾が撃ち込まれたことでイスラエルは報復を宣言し、現在に至っている。
この「開戦」のきっかけをめぐり、注目を浴びているのが、イスラエルが誇る情報機関モサドである。世界有数の実力を誇るとされていたこの機関は今回、攻撃を事前に察知できなかったのか。こうした疑問から「実は知っていたのにあえて攻撃させた」といった一種の陰謀論を口にする向きも現れている。これは真珠湾攻撃や9.11の時にも見られた世界観の一つなのかもしれない。ただ、真偽はともかく、裏を返せばそのくらいモサドは高い評価を得ていたということはいえるだろう。
モサドとはどのような組織なのか。そのすさまじい「実力」について、読売新聞記者で2006年~09年までエルサレム支局長を務めた三井美奈氏の著書『イスラエル―ユダヤパワーの源泉―』をもとに見てみよう(以下、同書から抜粋、再構成しました)。
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他人を信じるな
イスラエルの安全保障観を端的に示す場所がある。第2次大戦中に起きたワルシャワ・ユダヤ人ゲットー蜂起事件の記念館だ。北部ハイファに近い地中海沿いにある。壁一面が写真で覆われ、何千人もが見る者に背中を向けている。
「世界中がホロコーストを止めず、ユダヤ人を見殺しにした」というメッセージだ。
「他人を信じるな」という考えは、この国に滞在した3年間で嫌というほど見せつけられた。ある元将校は、「我々ユダヤ人は、敵に囲まれている。殺される前に殺しに行く。嫌われることなど厭わない」と冷厳に言った。
「抵抗もできないまま、ガス室に送られる弱者には、もう二度とならない」
固い決意が底流にある。
(略)
情報機関モサドの暗躍
私がエルサレム在住中の2006年秋、北朝鮮が最初の核実験を行った。この時、イスラエルのユダヤ人から、「日本はいつ北朝鮮を攻撃するのか」としょっちゅう尋ねられ、うんざりしたものだ。
彼らは、隣国が核兵器で脅しているのに日本が対抗措置を取らないのを理解できないらしい。イスラエルではこの時、核開発を進めるイランへの「先制攻撃は不可避」とする意見が高まっていたから、なおさらだ。
イスラエル流危機管理は「やられる前にやる」を地でいく。その象徴といえるのが、イスラム過激派に対する暗殺政策である。政府は「テロを未然に防ぐ手段」として正当化し、1970年代からパレスチナ・ゲリラを次々と暗殺してきた。首相直属の対外情報機関モサドは、その尖兵だ。
2010年1月、ペルシャ湾岸ドバイの高級ホテルで、パレスチナのイスラム教原理主義組織ハマス司令官が暗殺された。イランなど外国からの武器密輸のキーパーソンと目された人物だ。室内で何者かに薬物を注射されて気絶した後、枕を顔に押しつけられ窒息死した。監視カメラの映像には、テニス・ラケットを持った2人組の男が部屋を確認したり、ビジネスマン風の背広姿の男2人が連絡を取り合ったりする様子が克明に映っていた。
ドバイ警察は、二十数人の容疑者の多くが英国やフランス、オーストラリアなど外国の偽造旅券で入国したと発表し、「99%の確率で」イスラエル情報機関の犯行と断言した。
モサドは1997年、カナダ旅券で工作員をヨルダンに入国させ、現在はハマス最高幹部となったハレド・メシャル氏に神経ガスを噴射し、暗殺を謀ったことがある。この時は、失敗に終わった。モサドによる旅券偽造は明るみに出るたび、外交問題に発展してきた。
2004年には、ニュージーランドで脳性麻痺患者の名前を使って旅券を不正取得しようとした男が逮捕された。同国のヘレン・クラーク首相は「イスラエル情報機関が、国家主権と国際法を踏みにじった」と強く批判し、大使承認の延期など制裁措置を取った。
ナチスの残党を捕獲
モサドを一躍有名にしたのは1960年、ナチス親衛隊の元将校アドルフ・アイヒマンの捕獲作戦だ。アイヒマンはユダヤ人の強制収容所移送を指揮した人物で、戦後、アルゼンチンに偽名を使って潜伏していた。モサドは居場所を突き止め、羽交い締めにして拉致した。アイヒマンは、イスラエル法廷で死刑判決を受けた。
モサドの使命は、敵の暗殺や拉致工作だけではない。東西冷戦さなかの1966年、イラク空軍将校と接触してイスラエルまで飛行させ、最新鋭のソ連製ミグ21戦闘機を入手した。機体は西側によるソ連圏の軍事力分析の貴重な資料となった。
モサドは時には、外交関係のないアラブ諸国との陰のパイプ役ともなる。1994年のヨルダンとの国交樹立にあたっては、エフライム・ハレビ長官がラビン首相の名代となり水面下で交渉を行った。1977年には対イスラエル平和に動いたエジプトのサダト大統領の暗殺計画を察知し、エジプト情報機関に通報している。
イスラエルにはさまざまな情報機関がある。主柱となるのは、モサド、軍事情報部アマン、対内情報機関シン・ベトの3組織だ。アラブの敵に囲まれ、常に緊張状態に置かれたため、「情報が国家の命運を握る」という意識が徹底する。
北朝鮮の脅威を日本に警告
イスラエル外交は果断である。1990年代、遠く離れた北朝鮮に仕掛けた働きかけは、「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」を地でいく試みだった。
イスラエルが北朝鮮の動きを気にしたのは、北朝鮮がシリアやイラク、リビアなどイスラム諸国にスカッド・ミサイルを輸出していたからだ。特に、開発中の弾道ミサイル・ノドンのイランへの流出は、大きな脅威と映った。この状況で、モサドのシャブタイ・シャビット長官は1992年秋、エフライム・ハレビ副長官(いずれも当時)を国交のない北朝鮮に直接送り込んだ。この話は、シャビット氏自身が私に語ってくれた。
シャビット氏は、手段を問わない非情な組織として知られるモサドを1996年まで7年間率いた人物だ。現在は治安コンサルタント会社の会長職にある。会ってみると饒舌さに驚かされた。頭髪は薄く。話す度に腹周りのたっぷりした肉が揺れるのは愛嬌だが、鋭い眼光にどきりとさせられることもしばしばだ。
シャビット氏は「(北朝鮮の)連中はカネを欲しがっていた。第三者を通じて接触してきたので、交渉に応じたのだ」と、副長官派遣の経緯を明らかにした。シャビット氏は交渉の中身の詳述を避けたが、話が交渉と前後して日本外務省の担当者や国会議員らと会談した時のことに及ぶと、再び饒舌になった。
「私は北朝鮮の中東へのミサイル輸出について警告し、証拠も見せた。だが、日本側は真剣に取り合わない。頭に来て、『北朝鮮に気をつけろ。そのうち日本に弾道ミサイルが飛んでくるぞ』と言ってやった。それが(核実験を行った後の)今頃になって、騒いでいるのだからね」
モサド長官から見れば、日本政府は能天気の極みに映った。
※『イスラエル―ユダヤパワーの源泉―』から一部を再編集。