追悼・谷村新司さん 吉田拓郎から「信用できねぇ」と突っかかられて…筆者に語った爆笑エピソード

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チャリティにも熱心

 チャリティにも関心が高い人だった。2011年に東日本大震災が起こると、実家のある茨城県北茨城市が甚大な被害を受けた石井竜也(64)と2人でチャリティソング「風の子守歌~あしたの君へ~」をつくり、歌った。谷村さんが作詞、石井が作曲を担当した。

 リリースは翌2012年。売り上げも印税も全額を被災地の進学希望者を支援する毎日希望奨学金に寄附した。谷村さんは「一般の人がカラオケで歌うことでも(印税が)基金になるので、どんどん多くの方々に歌ってほしい」と呼び掛けていた。

 1970年代には深夜放送のスターでもあった。「セイ!ヤング」(文化放送)や「ヤングタウン」(毎日放送)などの看板DJとして活躍した。特に人気だったのが「セイ!ヤング」のコーナー「天才・秀才・バカ」である。

 3段オチのネタの投稿企画で、天才はこう、秀才はこう、オチのバカはこうという形で話は進んだ。大半は下ネタ絡みだったが、谷村さんはメジャーになった後も辞めようとしなかった。売れても変わらないのが谷村さんのダンディズムだったのではないか。

 ラジオは断続的に2010年代まで続けた。ギャラが安く、聴いている人の数もそう多くないラジオを去って行く芸能人は多いが、谷村さんは少数派を大切にした。これも美学だったに違いない。

 上海音楽学院の教授を務めてからは日本を学んでいた。

「学生たちが『先生、日本について教えてください』と目を輝かせるんです。ところが、自分には答えられないことがいくつもあった。これではいけないと思って、『よし、日本を学び直そう』と考え、勉強を始めたんです」(谷村さん)

 まだ、やりたいこと、つくりたい歌が無数にあっただろう。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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