追悼・谷村新司さん 吉田拓郎から「信用できねぇ」と突っかかられて…筆者に語った爆笑エピソード

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吉田拓郎から「谷村に付いていく」

「打ち上げ会場は焼き肉店だったのですが、酒が入った拓郎さんが『谷村さぁ、おまえの歌はスケールがデカすぎるんだよ』と言い始めまして(笑)」(谷村さん)

 確かに「昂」には♪宿命の星たちよ――など壮大な下りがある。「サライ」にも「空」が何度も出てくる。一方、吉田の作品には「俺」や「おまえ」がよく登場し、身近なことをテーマにしていることが多い。対象的である。吉田はそれを知った上でジョークを放ったのだろう。

「酔ってしまった拓郎さんは『こんな歌を作るヤツなんて、信用できねぇ』って(笑)。拓郎さんには独特の照れがあり、なおかつ少年みたいな人ですから、彼らしい言葉でした。ちなみに僕は拓郎さんの歌に違和感はおぼえたことがありませんでした。どんな歌であろうが、その人が作る世界ですから」(谷村さん)

 谷村さんは吉田が突っかかってきたことを喜んでいた。親しみの表れだからだ。

「拓郎さんは最後には『分かった。俺はこれから谷村に付いていくわ』って言っていました(笑)」

商業用の音楽DVDを初めてつくったミュージシャン

 それでも誤解を受けることはあった。「昂」、「サライ」などを歌ったことから、TBS「NEWS23」にゲスト出演した際、キャスターだった故・筑紫哲也さんから「あなたの歌は右寄り」と評された。名ジャーナリストとして鳴らした筑紫さんだが、さすがにこの判断は的はずれだろう。

「僕は命の尊さや鎮魂歌は歌ってきましたが、『右』とか『左』とか、そういう次元で作品をつくったことはありません。『防人の詩』(1980年)を歌ったさだまさしさんも同じような批評を経験しましたね」(谷村さん)

 谷村さんは2004年、中国の上海音楽学院の教授に就任した。中国では偉人扱いを受けている。右寄りだったら、教授就任を依頼されないだろう。

「それでも筑紫さんは僕に対する自分の考えを堂々と目の前で言ってくれたのが良かった。僕は陰でコソコソと何かを言う人を信用しません」(谷村さん)

 ちなみに筑紫さんの誤解はすぐに解け、たびたび谷村さんのコンサートに訪れるようになったという。

 谷村さんは古い物を大切にする一方、新しい物を積極的に採り入れる人でもあった。

「商業用の音楽DVDを初めてつくったのは僕なんですよ」

 1996年に発売されたDVD「シンジ ラ ムニタ」である。

「このDVDの記者会見には音楽担当記者が誰も来なくて。産業担当や工業担当の記者ばかりでした(笑)」

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