八冠達成の藤井聡太 「立会人が話しかけたのに…」感想戦終盤で見せた驚きの姿

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師匠との絆

 感想戦終盤、驚いたことがある。淡路九段が永瀬と藤井に話しかけ、立ち上がりかけた。すると永瀬は淡路九段のほうを見たが、藤井はそちらを全く見ずに盤面を見据えたままだった。まるで淡路九段の声が聞こえていないかのようであった。

 子供時代の藤井が通った「ふみもと子供将棋教室」を主宰する文本力雄氏(68)の「聡太は集中すると他は何も見えない。盤面への集中力が半端ではなかった」という言葉を思い出した。今回の快挙に文本氏は「よくやった。聡太は体の細胞すべてが将棋でできているんですよ」と話した。

 この日、藤井は「面白い将棋を指したい」と語った。あまり聞かなかった言葉だ。周囲が騒ぐ記録には無頓着で、一局ごとの勝利だけを目指してきた若者の心に少し余裕ができたようにも見えた。

 13日夕方、藤井は名古屋道場がある愛知県名古屋市のミッドランドスクエアで、師匠の杉本昌隆八段(54)とのトークショーと凱旋会見に臨んだ。「師匠に、これはやめてほしいと思う部分は?」と問われた藤井は「考えてこなかったし、ちょっとこの場では」などと話した。

 杉本八段の師で早逝した板谷進九段(1940~1988)は、東海地方にタイトルを持ってくることが悲願だった。「東海の鬼」と呼ばれた花村司治九段(1917~1985)と並ぶ東海地方の強豪だった板谷進九段は、名人戦順位戦のA級に6期在籍した名棋士だが、花村氏同様、タイトルには縁がなかった。そして1988年に47歳で病死した。弟子の杉本八段がまだ19歳の頃だ。そして今、亡き恩師の孫弟子は8度もタイトルを東海にもたらした。

 杉本八段は「8つも持ってこられて困ってるかな。近いうちに藤井ら弟子と墓参りに行きたい」と話した。テレビで笑顔を絶やさない杉本八段だが、かつて藤井との師弟対決で敗れた際、弟子を褒めながらも心底悔しそうだった勝負師の顔が忘れられない。いつか「弟子に遅れること何年」で、杉本八段が東海にタイトルをもたらす日が来るかもしれない。

八冠死守はどこまで

 さて、今後の藤井である。とりあえずは八冠をどれだけ維持できるか。現在、同学年の伊藤匠七段(21)の挑戦を受けている竜王戦七番勝負を乗り切っても、1月からは王将戦、棋王戦、名人戦……と続く。長期の維持は難しい。

 1996年2月の王将戦で七冠を独占した羽生ですら、七冠の維持はその年7月に三浦弘行九段(49)に棋聖位を奪われるまでの5カ月間だった。その後、七冠には返り咲いていない。挑戦者は熾烈な予選を勝ち上がってきた脂ののったトップ棋士ばかり。一方、タイトルを独占して予選がなくなり、「待ち」の立場で対局数が減る中で力を維持するのは至難なのだ。

 もうひとつの楽しみは永世称号(原則、引退後に名乗る)だ。今回、藤井は、羽生九段と中原誠十六世名人(76)しか成し得ていない名誉王座に挑戦した永瀬の夢を砕いた。大棋士だけがその全盛期をかけて到達する永世称号の保持者は、過去に木村義雄十四世名人(1905~1986)、大山十五世名人、中原十六世名人、羽生九段、渡辺明九段(39)ら10人しかいない。現在、藤井は棋聖と王位が4連覇、叡王が3連覇、竜王と王将が2連覇、名人と棋王、今回の王座が初タイトル。来夏にも永世称号の可能性があるのが棋聖と王位だ(条件は棋聖が通算5期、王位は連続5期か通算10期)。

 藤井が「1強」で驀進すれば、羽生九段が2017年の竜王戦でデビューから30年以上かけて達成した「永世称号独占」すら、さらに短期間で達成するかもしれない。あるいは、羽生九段のタイトル通算99期(現時点)を抜くことも。

 楽しみは尽きない。2020年夏に大阪で渡辺九段から棋聖位を奪った17歳での初タイトル以来、将棋ライターでもない筆者が、若き天才棋士の歴史に残る八冠達成中、七冠を現場で目撃できた。

「この日、勝ってタイトルが決まるかもしれない」と遠方まで駆けつけても、敗けるかもしれない。「空振り覚悟」で全国を走ってきたが、本当に「空振り」したのは2年前の叡王戦五番勝負の第4局、名古屋での対局で当時の叡王・豊島将之九段(33)に敗れた1回だけだ。筆者には僥倖(藤井が中学生時代に使った言葉)だったが、裏返せば、藤井聡太のタイトル戦の番勝負で負けなしという、恐るべき強さの証明でもある。
(一部、敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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