日本中が息をのんだ“伝説の名勝負”から35年…近鉄ナインが泣いた「10・19」
試合は三たび振り出しに
劇的勝利の感激もつかの間、23分後の18時44分に始まった第2試合も苦しい戦いになった。
先発・高柳出己が2回に先制ソロを浴び、打線も園川一美の前に5回までゼロ行進。だが、6回に4番・オグリビーのタイムリーで追いつき、7回にも吹石徳一、真喜志康永のソロ2発で3対1と突き放す。これで勝負あったかに見えたが、ロッテもその裏、2点を返し、再び同点となった。
だが8回、3番・ブライアントの右越えソロで4対3と勝ち越し。今度こそ決まりと思われたが、その裏、2試合連続リリーフの阿波野が高沢秀昭に痛恨の左越えソロを被弾し、試合は三たび振り出しに。
今も「あの中断さえなければ」と語り継がれる“事件”が起きたのは、9回裏のロッテ攻撃中だった。無死一、二塁、阿波野のけん制球で二塁走者・古川慎一がタッチアウトになった直後、ロッテ・有藤道世監督がベンチを飛び出し、セカンド・大石大二朗が古川をベースから押し出したと激しく抗議したのだ。
当時のパ・リーグは、4時間を過ぎたら次のイニングに入らないというルールがあった。抗議時間もロスタイムにならないため、すでに“時間との戦い”に入っていた近鉄側は気が気ではない。5分を過ぎたころ、しびれを切らした仰木監督が二塁まで出向くが、結果的にこの行動が抗議をさらに長引かせ、中断時間は9分まで延びた。
この試合の球審・前川芳男氏は後年、次のように回想している。
「仰木監督は最初から時間を気にして焦っていた。1回に佐藤健一が死球を受けて、ホームプレートのそばで治療しているときに、当てたほうなのにベンチを出てきて、『痛かったら代われ!』って。有藤監督も頭に来て言い合いになって、最後は『もう絶対、あなたんとこに負けないから!』と。だから、9回も抗議の気迫が全然違っていた。あれでは(近鉄は)勝たれないね。あのひとことで、空気がガラッと変わった。勝負事っていうのは、そんなものかなと思いました」
「ニュース・ステーション」の番組内で続いた中継
そして、4対4の延長10回、近鉄は先頭のブライアントがエラーで出塁したが、オグリビーは三振、羽田耕一は併殺打で無得点に終わる。この時点で10回裏のロッテの攻撃を残して、試合時間は3時間57分。事実上、逆転Vの望みが絶たれた瞬間だった。
この日、テレビ朝日には「野球中継を続けろ」という視聴者からの電話が700本もかかり、22時以降も久米宏がキャスターを務める「ニュース・ステーション」(テレビ朝日系)の番組内で中継を続けていた。
勝ちがなくなったにもかかわらず、画面に10回裏の守備に就く猛牛戦士たちの顔が次々映し出されるシーンは、視聴者の胸を打った。そして、22時56分、4対4でゲームセット。試合後、仰木監督は「今日見ていただいた多くの人が感動するゲームができて、残念だが悔いはない。選手は本当に一生懸命やってくれた。私も感動させられることばかりだった」と感謝の言葉を口にした。
関東地区で30.9パーセント、関西地区で46.7パーセントの高視聴率をマークした昭和最後の名勝負は、“伝説の10・19”として長く記憶されることになった。
[2/2ページ]