日本中が息をのんだ“伝説の名勝負”から35年…近鉄ナインが泣いた「10・19」

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「お前ら、どくれることはしちゃいかん!」

 巨人を中心とするセ・リーグの人気が圧倒的だった昭和期、パ・リーグの試合は閑古鳥が鳴く日も多かったが、そんな不人気を一気に挽回し、“エキサイティング・パ”の名を一躍高めた球史に残る名勝負が、1988年10月19日に演じられた。川崎球場で行われたロッテ対近鉄のダブルヘッダーである。【久保田龍雄/ライター】

 この日、マジック「2」でシーズン最終戦を迎えた近鉄だったが、全日程を終えた首位・西武を逆転するには、ロッテに連勝することが唯一の条件だった。

 引き分けすらも許されないダブルヘッダー第1試合、近鉄は7回まで1対3の劣勢だった。シーズン終盤、近鉄に8連敗を喫し、“混パ”の原因をつくったロッテも、最後の意地を見せようと必死だった。

「お前ら、どくれる(投げやりになる)ことはしちゃいかん!」

 8回の攻撃前、中西太ヘッドコーチが怒鳴った。その檄に応えるように、近鉄は1死から鈴木貴久の右前安打と四球で一、二塁のチャンスをつくると、「ここで出してくれなきゃ、自分でバットを持って出て行こうとまで思っていた」という代打・村上隆行が左翼フェンス上部を直撃する起死回生の2点タイムリー二塁打を放ち、土壇場で同点に追いついた。

梨田のアピール

 そして、9回も1死から淡口憲治の右越え二塁打のあと、代わった牛島和彦から鈴木が右前安打で続く。だが、代走の二塁走者・佐藤純一が三本間に挟まれ、タッチアウト。近鉄ファンで埋め尽くされたスタンドから落胆のため息が漏れた。

 当時ダブルヘッダー第1試合は9回で打ち切りというルールがあった。このまま引き分ければ、第2試合を待つことなく、近鉄の逆転Vは幻と消えてしまう。

 天国か地獄かという極限状況の2死二塁、「もうオレしかない」とベンチ前で素振りを繰り返し、仰木彬監督に代打をアピールしていた梨田昌孝が打席に立った。すでに引退を決めていた梨田は、牛島のストレートに狙いを定め、1ボールからの2球目を思いきり振り抜いた。

 詰まってふらふらとショートの後方に上がった打球は、「このまんま負けては、死んでも死にきれない」という梨田の執念が乗り移ったかのようにセンター・森田芳彦の前にポトリと落ちた。二塁走者・鈴木が捕手・袴田英利のミットをかいくぐるようにして、間一髪生還し、ついに4対3と勝ち越した。

 その裏、2日前の阪急戦で完投したばかりのエース・阿波野秀幸がリリーフし、2死満塁のピンチを招きながらも森田を三振に打ち取ってゲームセット。「奇跡の逆転V」まであと1勝と夢をつないだ。

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