42歳夫が悩む「妻の親友たち」との関係性 “やっと仲間に入れた”と思った矢先、我が子に悲劇が
「初めて3人の仲間になれたなと…」
秀太朗さんと静佳さんが結婚を決め、芽衣さんと将史さんを呼び出してそれを告げたとき、ふたりは大きな笑顔で喜んでくれた。将史さんは「じゃ、オレたちも便乗しちゃおうか」と芽衣さんを見た。芽衣さんも笑っていた。
「え、そういうことになってたのと僕はびっくりしました。静佳は知っていたみたいです、もちろん。さらに芽衣さんが自分のお腹を指さして『もうひとり、聞いてるから。今日わかったの』って。芽衣さんの妊娠判明は、静佳も将史さんも知らなかったみたいで、あの日は本当にみんなずっと笑顔でした」
将史さんと芽衣さんは結婚式を挙げないつもりだったようだ。秀太朗さんと静佳さんは簡素な式を家族だけで挙げて、その後、パーティをしようと話していた。
「パーティは一緒にやってもいいよねという話になって、僕も初めて3人の仲間になれたなと思いました」
新居も同じマンションにしたいと女性ふたりは話していたようだが、将史さんの勤め先には家族用の借り上げマンションがあった。秀太朗さんと静佳さんにとっても便利な地域だったので、その借り上げマンションから徒歩5分ほどの新築マンションに決めた。
「静佳はまだ26歳だったし、子どもはまだいい、今は仕事をしたいというのが望みでした。でも芽衣さんに子どもができるのはうれしかったみたい。『芽衣の子どもで子育ての練習する』と言ってましたね」
父を思い出させる将史さん
女性ふたりは週末が休日とは限らない仕事だったので、秀太朗さんはときどき将史さんと駅前の居酒屋で落ち合って飲んだ。知れば知るほど、将史さんは魅力的な男性だった。
「僕なんか典型的なサラリーマンですから、可もなく不可もなく人生、そこそこ食べていければいいやと昔から思っていたんです。実は僕の父親は山師みたいな男で、職を転々としながらお金が入るとわけのわからない投資をして全額失ったり、商売に手を出して失敗したりを繰り返してきた。僕はひとりっ子なんですが、小学生のときは父に外車に乗せてもらってドライブしたかと思うと、数ヶ月後には小さなアパートで母が内職しながら泣いている、みたいな感じで……。わけがわからない子ども時代でした。やっと父が定職についたのは僕が中学に入ったころ。でもその後、父はバブルに踊らされていましたね。数年間でかなりもうけたようです。母は父の目を盗んでそのお金を無理矢理、確保してくれた。バブルが弾けて父が文無し状態になったとき、母はあっさり父を捨てました。でも離婚はしていなかったようで、僕が就職して家を出てから、なぜかふたりで暮らしています。僕は自分の子にあんな思いはさせたくないとずっと思ってた。地道がいちばんだ、と」
将史さんは、そんな父を思い出させるところがあった。30代に入ったら起業すると、いつも夢を語り、自由に生きているように振る舞いながら、その危うさをどこかでわかっているようなタイプ。だが同性から見ても「楽しくていいやつ」だったから、秀太朗さんはすぐに親しくなった。
「芽衣さんが妊娠していたから、安定期に入るまでは僕らがよく彼らの家に行っていました。こちらからも何か食べるものをもっていって持ち寄りで。将史さんが料理上手で、短時間でパパッといろいろ作ってくれるんです。『将史は昔から料理がうまいの。あなたもがんばってよね』と静佳によく言われました。僕は掃除は好きだけど料理はイマイチで。すると芽衣さんが『いいじゃない、将史は掃除はまったくやらないのよ』と。それぞれにいいところがあるということで、彼らといると気が楽になりましたね」
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