横浜のドヤ街で“1万2000人”の顔を覚えた「伝説の刑事」が逝去 指名手配犯を“年間30人”も逮捕できた驚くべき理由

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最も濃密な1年

「1980年代当時、“寿町の西さん”といえば神奈川県警で知らない刑事はいなかったと思います。私にとって西さんは“刑事の師匠”。捜査のイロハから、ひとりの人間としての立ち居振る舞いまですべてを教わりました」

 そう語るのは神奈川県警の元刑事で、犯罪ジャーナリストの小川泰平氏である。そして、“西さん”とは、同じく神奈川県警で「伝説の刑事」と称された西村博文さんのことだ。小川氏によれば、西村さんは9月末に亡くなったという。享年71。

 現役時代の小川氏は、職業泥棒と対峙する捜査3課の刑事として活躍し、知事褒賞をはじめ数々の受賞歴がある。そんな小川氏からしても、「指名手配犯だけで年間30人捕まえていた西村さんは別格」だという。

 二人の出会いは80年代まで遡る。

「川崎署の盗犯係で刑事をしていた私が、機動捜査隊へと異動したのは24歳のときです。覆面パトカーに乗って、事件が起きれば真っ先に現場へと駆け付ける機動捜査隊は、県警のなかでも“花形”。そこで最初にペアを組んだのが西さんでした。実際に西さんとのペアで仕事をしたのは1年間だけなのですが、30年近い私の警察官人生のなかで、最も濃密な1年だったと断言できます」

 そして、2人の“仕事場”となったのが横浜・寿町――。東京の山谷、大阪の西成と並ぶ“日本3大ドヤ街”のひとつである。

“逆見当たり捜査”

「当時の寿町は、たとえ警察官であっても容易に足を踏み入れられる場所ではありませんでした。覆面パトカーのタイヤはパンクさせられるし、ビルの7、8階から牛乳瓶を投げつけられたことも。たとえば、事件の関係者を探して寿町を訪れ、簡易宿泊所の管理人、いわゆる“帳場さん”に写真を見せても“知らないね”と言われるだけ。それどころか、本人に“アンタを探して警察が来たよ”と告げ口される恐れもある。でも、西さんだけは違った。むしろ、地元の人の方から声をかけてくるんですね。“西さん、あそこの喫茶店に最近、見慣れない顔がいてさ”という風に」

 西村さんはとにかく現場にこだわった。「1年365日を寿町で過ごしたといっても過言ではない」ほどだった。

「寿町の交差点に早朝から覆面パトカーを停めて、人の動きをじっと見つめている。次に、そこから50メートルほど先の交差点にポイントを移して同じように街を眺める。まだ若かった私は“何てじれったいことをしてるんだろう”と思ったものですが、西さんは車窓越しに寿町を行き交う人々の“顔”をすべて記憶していたわけです」

 ドヤ街には仕事を求める労働者だけでなく、警察から逃れて身を寄せる者もいる。そのため、容疑者の潜伏先として寿町が浮上することは少なくない。その際、捜査を担当する刑事が頼りにするのが西村さんだった。

「その当時の西さんは、寿町で暮らしていた1万2000人ほどの顔をほぼ全員覚えていた。だからこそ、顔写真を見ただけで“いや、いないな”とか、“あぁ、いるよ”と即答できた。これは本当に凄いことですよ。警察の捜査手法のひとつに見当たり捜査というのがあって、これは指名手配犯の写真で身体的特徴を覚えて、繁華街の雑踏の中から見つけ出す手法。しかし、西さんは最初に住人たちの顔を頭に叩き込み、その後に写真を見て絞り込んでいく。要するに、“逆見当たり捜査”とでも呼ぶべきやり方なんですね。街中で知らない顔を見つけると、西さんはすかさず声をかけて後部座席に乗せ、“いつ頃に来たの?”と尋ねる。相手が寿町に来てから1週間以内と知ると、“そうか、オレがここ1週間サボってたってことだな”。そこまで徹底して街に精通する刑事を、私は西さんの他に知りません」

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