蜃気楼のようにつかめそうでつかめない存在…全身白ずくめの娼婦「ヨコハマメリー」の謎めいた人生
「あなた、あたしをどう思うの?」
同じ横浜出身の俳優・五大路子(71)が初めてメリーさんを見たのは91年5月、山下町のホテルニューグランド前である。「横浜開港記念みなと祭」の審査員席に座っていたときだ。ふと左斜め下を見ると、白塗りで腰をかがめながら大きな荷物を持っているメリーさんと視線が合った。
歌舞伎役者のような白塗りの顔。濃いアイシャドー。だが、気品あふれる雰囲気に、ハッと息をのんだ。
「『あなた、あたしをどう思うの。答えてちょうだい』と問われているようでした。あの白い化粧は、何かを演じるための儀式だったのかもしれません」
と五大は話す。
そのときの強烈な印象が忘れられず、脚本家・杉山義法(1932~2004)と一緒にメリーさんをモデルにした芝居作りを始める。「横浜ローザ」という題名で東京・三越劇場を皮切りに96年からほぼ毎年、ひとり芝居を演じるようになった。
「メリーさんは、私たちが思い出したくない戦後の歴史や認めたくない過去を、一身に背負って街に立っていたのではないか」
と五大は言う。だが、メリーさん自身に、そんな気持ちがあったのかどうかは分からない。聞かれても無言を貫いたにちがいない。
蜃気楼のようにつかめそうでつかめない。近づけば消えてしまう。そんなメリーさんは95年12月、横浜から忽然と姿を消し、故郷の中国地方に帰る。
何がメリーさんに起こったのだろうか。
95年といえば、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起き、日本中が騒然とした空気に包まれた年である。日本人のメンタリティーが一気に変わったとまでいわれた。
そうした中で、メリーさんに対しても、それまである程度寛容だった人が敵意をむき出しにするようになったのではないだろうか。商店街の人たちも世代交代が起き、「厄介者で排除すべき存在」とメリーさんを見るようになったのではないか。要するに、寛容から排除へ、理解不可能な異物に対するむき出しの敵意へと社会が変わっていったのである。
メリーさんはそんな時代の空気を敏感に察知し、横浜の街からひっそり消えたのだろう。
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