【藤井聡太八冠・観戦ルポ】永瀬拓矢王座が「アマチュア有段者でも気づく勝ち手を逃した瞬間」 記者控室はどよめき、本人は「天を仰いだ」

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藤井曲線

 今回の王座戦で藤井は全般に不調の中、辛くも勝って王座を獲得したが、普段の藤井は序盤から少しずつ優勢を拡大し、そのまま圧勝することが多い。そういう将棋はAIの評価値の折れ線グラフが小高い丘に徐々に登っていくような似た形を示すため「藤井曲線」とも呼ばれている。不利になることがないまま、そのまま勝ち切ってしまう。

 それはまるでAIと人間が将棋をした時のような曲線でもある。前人未踏の八冠制覇に対しても、将棋界では「彼ならいずれ成し遂げると思っていた」と淡々と受け止めるプロ棋士は多い。藤井は史上最年少の14歳でプロ棋士になった直後からいきなり29連勝という偉業を達成、「天才中の天才」と呼ばれてきた。

 将棋界の論客で「教授」との呼び名もある勝又清和七段は、「藤井さんの実力は他のトップ棋士と比べても頭一つどころか二つ抜けている。研究量もすごい」と話す。弱冠21歳で八冠王となった藤井は、いまだに五番勝負、七番勝負で争うタイトル戦で負けたことはない。通算成績は342勝68敗で勝率は0・834と他の棋士を圧倒している。

天才は巨星になれるか

 21歳の彼が真価を問われるのは、この実力を今後何年維持できるかだろう。将棋のタイトルがまだ7つだった時代に全七冠を制覇した羽生善治九段は、昨年、52歳にして王将戦の挑戦者に名乗りを上げた。2勝4敗で惜しくも藤井に敗れたが、現在もトップ棋士の一人だ。

 羽生は七冠制覇後、チェスにも挑戦、国内最強クラスのプレイヤーとなり、将棋で多忙の中、欧州の選手権などにも参加している。昭和の将棋界に君臨した大山十五世名人はかつて「天才と呼ばれているうちは二流だ」と言ったことがある。人並外れた才能でトップに上り詰めることはできるが、その実力を長年にわたって維持することこそが真の実力者だという意味と取れる。

 また、将棋の実力だけでなく、泥臭い人生経験の積み重ねや一般的な教養・識見も将棋界の顔としては求められるようになることも示唆しているようにも思う。大山には将棋界の財政を安定させた日本将棋連盟会長としての功績も大きい。また、66歳にして棋王戦のタイトル挑戦者になったタイトル挑戦の最高齢記録を持つ。藤井八冠はまだ、将棋一筋でいいと思われるが、将棋界には「天才以上の存在感」で輝き続けた巨星も多々いる。

 八冠獲得の記者会見で藤井は「今後は面白い将棋も指していきたい」と語った。藤井の将棋は今でも十分に面白いが、戦法としては居飛車一辺倒で、アマチュアが好む振り飛車は一切採用してこなかった。八冠を達成して、彼の心に少し余裕ができたゆえの言葉のようにも思えた。(文中・敬称略)

石山永一郎
ノンフィクション・ライター。将棋はアマ四段。共同通信編集委員時代には、日米関係や沖縄、アジア関係の記事を主に執筆する傍ら、将棋の国際普及や人工知能に関する記事も多数執筆。最近の将棋に次ぐ趣味はテキサスホールデム・ポーカー。

デイリー新潮編集部

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