日本を代表するテロリストは赤穂浪士である 私たちはなぜテロに共感してしまうのか

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 どんな理由があっても暴力はいけません――子供にはそういう教育がなされることが多いものの、現実の世の中では意外と暴力に理解を示す大人は少なくない。

 直近でいえば、安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也被告へのシンパシーを示す人の多さは典型だろう。「やったことは許されないが同情すべき点はある」という考えを持つ人が一定数存在し、減刑嘆願書には多くの人が署名をした。また「文化人」とされる中には、彼を賞賛するかのような物言いをする者もいた。

 一般的な常識では、山上被告のやったことは言語道断の殺人なのだが、「気持ちはわかる」という反応はかなり見られたのである。

 このように「やったことは悪いけれども気持ちはわかる」は比較的日本人によく見られる思考パターンだといえるだろう。福田充・日本大学危機管理学部教授は新著『新版 メディアとテロリズム』で、その起源を忠臣蔵に求めたうえで、その問題点を指摘している。(以下、同書をもとに抜粋・再構成しました)

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赤穂浪士はテロリストか?

 日本の長い歴史の中で、最も有名なテロリズムは何かと問われたら、読者の皆さんは何と答えるだろうか。日本で発生したテロ事件は数多く、枚挙にいとまがないが、日本人の意識の中でよく知られ、そしてテレビや映画を中心とした映像メディアの中で最もよく作品化されるテロリズムを挙げれば忠臣蔵で有名な「元禄赤穂事件」を挙げることができるだろう。

 これはよく知られている通り、江戸城松之大廊下で発生した刃傷事件の責任をとって切腹した浅野内匠頭の仇を討つため、大石内蔵助を中心とする赤穂浪士47名が1702年(元禄15年)12月14日、吉良上野介邸に討ち入り、主君の恨みを晴らすという事件である。

 この赤穂浪士の義挙をテロ事件と呼べば、日本人の中には違和感を持つ人が多いかも知れない。それほど、この赤穂事件は日本人の心の琴線に触れる人気の物語である。江戸時代からその赤穂浪士に対する人気は高く、当時は『仮名手本忠臣蔵』という歌舞伎の作品として評判となり、現代でも歌舞伎の人気演目のひとつとして愛されている。

娯楽として消費されるテロ

 しかしながら、この赤穂浪士の行為は当時の江戸時代においても明らかに逸脱的であり、事件後の赤穂浪士47名をどう処罰するかは、江戸幕府内でも大きな議論となったことはあまり知られていない。赤穂浪士を義士として遇して切腹を命じるべきか、あくまでも殺人犯として処刑すべきか、この事件が社会の注目を集めているだけに、幕府内の大論争に発展した。

 現代の視点から歴史における過去の現象の是非を問うことは決して許されない。しかし、敢えて現代的な視点から見れば、江戸市中において堂々と武装した集団が、それがたとえ仇討ちだったとしても、一人の政府高官を暗殺する行為は客観的に判断するとテロリズム以外の何物でもない。実際、江戸時代において改易やとりつぶしにあった藩は多かったが、このような事件を起こした藩は他にはない。この事件以前に赤穂藩に流されていた兵学者であり武士道の思想を体系化した山鹿素行の思想的影響が指摘されることもある。

 結局、そうした幕府の措置に対し、竹田出雲らによって創作された歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の脚本は、時代設定も江戸時代ではなく、南北朝時代の太平記を下敷きにした塩冶判官高貞(えんやはんがんたかさだ)や高師直(こうのもろなお)の物語に設定を変えたストーリーとなっている。テロリズムとそれにまつわる社会背景の物語は、江戸時代からすでに庶民の中で消費されるメディア・コンテンツだったのである。そして日本には、赤穂浪士の行動は義挙であり、テロリズムとはみなされない歴史的文化がある。この文化が日本におけるテロリズム対策を難しくしているという側面もある。

要人暗殺テロ

 幕末期において水戸脱藩浪士によって引き起こされた大老井伊直弼の暗殺事件である桜田門外の変も要人暗殺テロである。

 幕末から明治、大正、昭和にかけての日本の歴史的変動期においては、たくさんの要人暗殺テロが発生した。明治の元勲の一人である大久保利通も不平士族によって東京紀尾井坂において暗殺された。

 日本の初代内閣総理大臣である伊藤博文もハルビン駅で朝鮮人の安重根によって暗殺された。幕末の長州藩において低い身分にあったにもかかわらず、松下村塾で吉田松陰の教えを受けたことによって討幕運動で活躍し、明治時代の日本を支えた元勲である伊藤博文が殺されたこの事件は、日本から見れば要人暗殺テロリズムであるが、韓国において安重根は日本の帝国主義と戦った民族主義の英雄である。見方や立場が変われば、事件の解釈が異なる。これがテロリズム問題の難しいところである。

 このように、日本には自らの命を捨ててテロリズムを実行することによって政治的状況を打開、または変革しようとする文化が歴史に根付いている。1932年に海軍中尉三上卓を中心とした青年将校が犬養毅首相を暗殺した5・15事件が発生し、犬養首相が残したという「話せばわかる」という言葉と「問答無用!」という返答もまた有名である。まさにこの要人テロは言論を封殺する「問答無用」のテロリズムなのである。

 また、1936年に陸軍皇道派青年将校によって起こされたクーデター事件である2・26事件では、岡田啓介首相をはじめとする7人の政府首脳が襲撃された。決起将校らは永田町、霞ヶ関一帯を占拠したが、彼らに対して「下士官兵に告ぐ」と題された投降を呼びかけるチラシやラジオ放送が政府によって使用された。投降の説得コミュニケーションである。このクーデターにおいてラジオというメディアは鎮圧のために使用された。

 ここで、2・26の決起将校が当時最先端の放送メディアであるラジオ局をおさえなかったことが、クーデター失敗の要因のひとつであるという指摘もある。ラジオ局をおさえれば、決起将校たちは自分たちのクーデターの大義名分を政治家や国民に対して直接表明することができたのである。革命やクーデターにおいて、テレビやラジオなどのメディアを接収して利用するという戦術は、現代の常識となっている。

青年将校への同情論

 日本の文化の特徴は、彼ら青年将校らにも言い分があった、決起した理由があったということを斟酌(しんしゃく)するところである。

 彼らの行為は紛れもなく要人暗殺型テロリズムであるが、そこに彼らの正義感や義侠心を読み取ろうとする文化が日本にはある。イラク戦争に反対し、反戦思想家としても『非戦』(幻冬舎)などを監修した音楽家の坂本龍一でさえ、村上龍との対談集『EV.Cafe――超進化論』(講談社)の中では、5.15事件主犯のひとりである三上卓が作詞した「青年日本の歌」(昭和維新の歌)を音楽的に評価しているくらいなのである。

政治的闘争という大義名分を持つテロリズム

 テロリズムがただの人殺しとは区別される理由はここにある。テロリズムには政治的要求を持つ、政治的闘争であるという大義名分があるのである。

 テロリストの主張がメディアによって社会に報道されることによって、その大義名分が社会に浸透していく。それは言葉よりも肉体と暴力を用いたコミュニケーションということができる。

 この傾向は日本において戦後もしばらく続いた。1960年10月12日に日比谷公会堂で日本社会党委員長であった浅沼稲次郎が演説中に右翼少年によって短刀で刺殺された。この様子は当時のテレビニュースやニュース映画で伝えられ、日本において映像で放送された最初の要人暗殺テロとなった。テレビ放送は日本において1953年にスタートしているが、その後、1959年の皇太子殿下ご成婚や、1964年の東京オリンピック開催などのメディアイベントによって日本の家庭にテレビが普及しつつある過程において発生したのが、このテロ事件であった。

 その後、要人暗殺テロは日本において相対的に少なくなったが、2002年10月、民主党の石井紘基議員が自称右翼によって殺害された事件は記憶に新しいところである。石井議員は特殊法人改革を中心にした行財政改革問題を追及していたため、事件当時から背後に影の存在が潜む政治的テロリズム説が指摘されていたが、右翼の男は私的怨恨を動機として主張したままであり、捜査や裁判においても真相は闇のまま葬られた。国民の代表である政治家の命がテロリズムによって奪われることは、決して許されることではない。

世界中に放送されたケネディ暗殺の瞬間

 日本だけでなく、戦後も世界中で要人暗殺テロは発生した。その中でもアメリカのジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件は世界で最も有名な要人暗殺テロであるといえる。

 1963年11月22日テキサス州ダラスにおいて、オープンカーによるパレード中にケネディ大統領は銃殺された。アメリカからの衛星を使った国際テレビ中継で、初めて日本に届けられたニュースが、このケネディ大統領暗殺事件であった。日本人だけでなく、世界中の人々がこの大統領の暗殺テロの映像を茶の間のテレビで視聴したのである。この映像が世界に与えたインパクトは計り知れない。テロリズムがテレビというメディアによって世界中に中継される時代が到来したのである。この事件はそれを象徴したテロ事件であった。

 要人暗殺テロの特徴は、テロリストの暗殺の対象となるターゲットがはっきりとしているという点である。ターゲットは、政治家など権力の側にいる要人に限られるのである。しかしながら、この衛星中継という国際的なテレビ・ネットワークの構築が、テロリズムに新しい展開を作り出す。新しい現代的テロリズムの誕生である。

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 テロリスト側の事情を知り、感情が揺さぶられることは止められないのかもしれない。しかしながらそれを理性で抑える必要があるだろう。テロの対象は要人だけではない。自分や家族がその対象になることを想像すれば、「どんな理由があっても暴力はいけません」のほうが正しいのは明らかである。

※福田充『新版 メディアとテロリズム』(新潮新書)から一部を再編集。

福田 充(ふくだみつる)
1969(昭和44)年生まれ。日本大学危機管理学部教授、同大学院危機管理学研究科教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専門はテロや災害などメディアの危機管理。内閣官房等でテロ対策や危機管理関連の委員を歴任。

デイリー新潮編集部

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