絶大な人気を誇った“白いロマンスカー”の完全引退迫る

ビジネス

  • ブックマーク

広報担当者も吐露した「早すぎる引退」

 小田急が公式的にVSEの引退を発表した当日、すぐに筆者は広報部に問い合わせをしている。そのとき対応した広報担当者は「個人的な意見を申し上げれば、VSEの引退は早すぎますし、引退するからにはロマンスカーミュージアムに展示してもらいたいと思っています」とVSEに対する真情を吐露している。

 広報担当者が取材者に対して個人的な意見を表明することは稀にあるが、それでもVSEの取材では、多くの社員が「個人的な意見ですが…」「あくまでも、会社の公式的な話ではありませんが…」と前置きしながらも個人的な思いの丈を口にすることが多かった。それほど、小田急社内でもVSEは特別な存在だったことが推察できる。

“初のロマンスカー”は

 ちなみに、小田急が運行する特急列車の代名詞のようにも扱われるロマンスカーという呼称だが、これは小田急の専売特許だったわけでない。

 もともと二人で並ぶ座席がカップル利用に適しているとの理由からロマンスシートと呼ばれるようになり、そうした二人並びの座席を備えた列車をロマンスカーと呼ぶようになる。

 そのため、東武鉄道や京阪電鉄でもロマンスカーと称する列車が運行されていたが、それらは時代とともにロマンスカーを使わなくなっていく。小田急だけが実直にロマンスカーの呼称を使い続け、それが時代とともに定着していった。

 名実ともにロマンスカーの人気を押し上げたのは、1957年に運行を開始した3000形SE(= Super Express)と呼ばれる車両だ。

 小田急がロマンスカーという呼称を正式に使った最初の車両は、1949年から運行を開始した1910形とされている。しかし、小田急OBや現役社員など幅広く関係者に話を聞いて回ると、ほぼすべての小田急関係者の間で「初代ロマンスカーは3000形SE」という認識が広く定着している。

 実際、小田急の技術系社員3人による著書『小田急ロマンスカーの車両技術』(オーム社)には、1910形を初のロマンスカーとしながらも「ロマンスカーのイメージを決定的にしたのは3000形」「小田急ロマンスカーの設計の歴史は、これまでの流れのなかで大きく2期に分けることができます。第1期は1957年に年登場の3000形(後略)」といった記述が溢れている。

 そんな3000形SEからロマンスカーは小田急が運行する特急列車の代名詞になっていくが、小田急では連接台車・前面展望といった伝統技術を頑なに守ってきた。そうした技術は時代とともに失われていくが、VSEは洗練された外観だけではなく、小田急ロマンスカーの伝統技術でもある連接台車・前面展望を採用した。つまり、VSEこそが小田急の伝統を受け継ぐロマンスカー中のロマンスカーだった。

次ページ:引退をめぐる憶測

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。