テロリストの主張を垂れ流すメディアに反省はないのか その「共生」「共犯」関係に専門家が警告

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メディアとテロの「共犯関係」

 安倍晋三元首相が暗殺された後、容疑者の「背景」「生い立ち」「思想」についての報道が過熱したのは記憶に新しいところである。それはテロリストの狙い通りなのでは、といった声も無かったわけではないのだが、大量の報道の前にはかき消された。

 その状況を見てか、事件から1年もたたないうちに岸田文雄首相が襲撃された。この時は容疑者の素性に加えて、メディアが注目したのは、最悪の事態になるのを防いだ地元の漁師たちだった。

 テロリストは常にメディアを利用し、メディアも数字を獲得するためにテロを活用する。

 両者は「共生関係」あるいは「共犯関係」にあるのではないか――そう指摘するのは、福田充・日本大学危機管理学部教授だ。福田氏は新著『新版 メディアとテロリズム』で、両者の不適切な関係にメスを入れている(以下、引用はすべて同書より)。

(前後編記事の前編)

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テロから始まるメディアスクラム

 そもそもテロリストの目的は何か。

「敵」と認定する対象を直接攻撃することに加えて、彼らが重視しているのは「宣伝」だと福田氏は指摘する。

「テロリストやテロ組織は自分たちの政治的主張を世界に宣伝(プロパガンダ)するために事件を起こしてメディアを利用する。これがテロリズムという現象である」

 国内における直近の典型的な例であり、また「成功例」となってしまったのが、安倍元首相銃殺事件だ。山上徹也被告が攻撃したい対象は本来、統一教会であり、安倍元首相ではなかった。しかし、安倍元首相を標的としたことで、彼の主張は広く知られることとなる。

「社会から注目を集め、メディアによって報道されることにより、自分の窮状を社会に知らしめ、社会から同情を集めることで、旧統一教会の問題にフォーカスがあたるように仕向けた。それが、山上被告が安倍元首相を暗殺した動機であると考えられている。

 事件後、テレビや新聞、ネットなどのメディアは、その後、山上被告の家族が経験した旧統一教会とのトラブルを連日報道し、その後、国会でも旧統一教会問題が議論され、宗教二世問題もクローズアップされることで、旧統一教会などのカルト宗教対策が重要議題化した。

 これこそが、山上被告が安倍元首相を銃撃するテロリズムを起こした目的である。こうした旧統一教会の社会問題化は、山上被告が望み、仕組んだものであった。メディア報道は、山上被告の捜査過程での供述によってコントロールされ、山上被告のテロリズムの目的達成に結果的に加担したのである」

 もちろんメディアの側は「真実」あるいは「事実」を伝えているに過ぎない、という立場であろう。しかし、「結果的に加担」した事実は否定できない。福田氏は、この関係性を「メディアとテロリズムの共生関係」と呼んでいる。

「メディアは山上被告の思惑に加担しようと思わなくても、ジャーナリズムのその社会的使命として事件の背景を徹底的に取材して詳細に報道する。それによって山上被告が旧統一教会によってどんなに悲惨な人生を送ったか、その実態をメディアのオーディエンスに伝える重要な役割を果たす。

 その結果、多くの市民が山上被告に同情して、山上被告の減刑を訴える署名活動に大量の市民が賛同し、多額の支援金が集まった」

 たしかに山上被告の生い立ちは同情に値するものだろう。統一教会に問題があるのも事実である。しかしながら、それらはいずれも殺人を正当化するものではない、というのは常識のはずなのだが――。

「これは、大義名分があれば、または追い詰められた個人であれば、暴力を用いて人を殺しても、情状酌量されるという日本的な伝統文化と深く繋がっている。安倍元首相を批判し続けてきた、『リベラル派』を自称する文化人たちの中にも、安倍元首相を批判する文脈で、この暗殺を正当化し、山上被告の行動を称賛するものも出て、大きな批判が生まれた。

 このようにテロリズムとは、社会や市民を巻き込んだ『劇場型犯罪』であり、テロリストが自分たちの政治的目的を達成するために実行する政治的コミュニケーションとみなすことができる」

テロリストのインタビューは放送しない

 テロリストの主張を広める可能性があるとしても「事実」を伝えるのがメディアの役割ではないか、という反論は可能だろう。実のところ、反政府運動などがすべて「なかったこと」にされる国は存在するが、見習うべき対象ではない。

 ただし、日本のメディアのこの問題への取り組みは、イギリスなどと比べて遅れているのも否めない。イギリスの公共放送局BBCは独自の報道ガイドラインを設けている。そのガイドライン11章「戦争、テロと緊急事態」では、テロ報道における注意点や方針が細かくまとめられている。たとえば――、

「我々は他者(注・テロリストなど)が使用している言葉をそのまま使用すべきではない。裁判手続きでない場合には、彼らが使う『解放』『軍法会議』『処刑』などの用語の使用は不適切である。我々の使命は報道の客観性を維持することである」

「ハイジャックや誘拐、人質拉致などの事件においては、我々はイギリス国内や海外において放送、出版されるものが犯人の目や耳に入る可能性があることを認識する必要がある。背景や影響を考慮した報道が重要であり、犯人によって得られる何ものに対しても、特に彼らが我々メディアに直接接触を試みた場合に対しても、倫理的な注意を払うべきである。犯人とは放送中にインタビューしない。犯人から得られたビデオや音声は放送しない。これらの事件を報道する場合には、警察をはじめ関係機関にアドバイスを仰がねばならない」

 いずれもテロリスト側の「宣伝ツール」となってしまうリスクを念頭に置いた方針である。

 ところが、日本ではこうした具体性のある方針を定めたメディアは極めて少ない。福田氏はかねてよりメディア側と政府側が話し合って、何らかのガイドラインを定めるべきだと提言しているが、そのようなことが実現しているとは言い難い状況である。

 従って、仮に宣伝を主目的としたテロが発生した場合、報道の名の下にテロリストのプロパガンダ機関となるメディアが登場してもおかしくないのだ。

 日本でこうした対策が遅れている一因は、「識者」にもある、と福田氏は指摘する。

 その真意とはいかに。(後編に続く

福田 充(ふくだみつる)
1969(昭和44)年生まれ。日本大学危機管理学部教授、同大学院危機管理学研究科教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専門はテロや災害などメディアの危機管理。内閣官房等でテロ対策や危機管理関連の委員を歴任。

デイリー新潮編集部

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