発売1週間で完売 中高年を夢中にさせる「8マンVSサイボーグ009」が実現した理由
人間とロボット……共通するキャラクター
「8マン」は、1963(昭和38)年から講談社の「週刊少年マガジン」で連載された。原作は、当時、新進のSF作家だった平井和正。作画は桑田二郎(当時は「次郎」)。同年、TVアニメとなって大ヒットした。
内容は、悪の手で射殺された刑事・東八郎の人格と記憶をそのまま電子頭脳に移植したスーパーロボット、8マンの活躍を描くものだ。生みの親は、谷博士。警視庁の7つの捜査班のどこにも所属しないので「8マン」と呼ばれるが、普段は人間の姿で、私立探偵として活躍している。数々の敵と戦うが、特に、ソ連の天才科学者・デーモン博士が、8マンと恩讐を超えた関係になる設定は、従来のSF漫画にはない奥深さを生み出したといわれている。
「子供心にも忘れられないのは、8マンが、パワーが衰えると“タバコ”を吸ってよみがえる設定です。時折、これがなくなって、危機に見舞われる。実はこれは、体内の原子炉の過熱をおさえるための冷却剤(強加剤)なのですが、どう見てもタバコを吸っているように見え、いかにも大人の世界のようでカッコよく感じたものです」(Aさん)
この「8マン」の連載開始から1年後、東京オリンピック開幕直前で沸く1964年7月。少年画報社による創刊1年目の新進雑誌「週刊少年キング」で連載開始されたのが、石ノ森章太郎(当時は「石森」)の「サイボーグ009」である。いままでに、単行本や文庫など、総計1000万部を突破している人気作品だ。
世界各地で紛争を発生させている兵器密売組織「ブラック・ゴースト(黒い幽霊団)」が、世界9か国から人材を拉致して、“新商品”サイボーグ戦士を作りだした。日本からは少年鑑別所から脱走した島村ジョー(009)が、フランスからはバレリーナのフランソワーズ・アルヌール(003)が拉致されて改造された。だが彼らは、自分たちの真の製造目的を知るや、開発責任者ギルモア博士とともに脱走し、ブラック・ゴーストの野望と戦うことになる。
「この作品の素晴らしいところは、戦士たちが、自分たちは人間なのかロボットなのか、悩みながら戦う点でした。こんな漫画は、それまで誰も読んだことがなかった。実は石ノ森先生は、この直前、東西冷戦下に世界一周旅行を敢行しており、その経験と、開戦したばかりのベトナム戦争への反戦の思いを込めたといわれています。のちの『仮面ライダー』のように、悪の組織から抜け出して正義に目覚め、出身母体と戦う物語の原型となった作品です」(Aさん)
このように、両作品は、人間とロボット(サイボーグ)の狭間ともいえるキャラクターが共通しているが、そのほかは、まったくちがう設定である。しかも、決定的なちがいは「絵柄」だ。
「桑田先生は、絵物語・挿絵作家、岡友彦の弟子なんです。岡は、昭和20年代後半から30年代にかけて、『白虎仮面』や『笛吹童子』などの時代劇もので人気だったひとですが、線がとてもきれいで、流麗なタッチが特徴でした。桑田先生は、この岡タッチに少年漫画のテイストを加え、洗練されたクールな線を生み出したのです。TV化でも大人気となった『まぼろし探偵』『月光仮面』などは、当時の少年月刊誌のなかで、ひときわ目立つ新鮮な絵柄でした」
これに対して石ノ森は、徹底的に手塚治虫に憧れ、尊敬し、独学で漫画を描いてきた、いわゆる“天才少年”である。
「石ノ森先生は、高校時代、すでに漫画の天才少年として知られていました。そこであるとき、あまりに多忙な手塚先生が『鉄腕アトム』の背景部分の代筆を頼みました。ところが石ノ森先生は、背景どころか、人物まですべてを描き入れて原稿を返送してきたのです。それが名作『電光人間の巻』です。あまりにていねいでよく描けていたので、手塚先生は単行本化の際も描きなおしせず、いまでもそのまま収録されています」
それほど、石ノ森少年は、手塚タッチを追い求めていたのである。しかもまだスクリーントーン(網目模様などの粘着フィルム)が一般的でなかった時代に、石ノ森少年は細かいアミカケを、すべて肉筆で描き入れていた。
「実は桑田先生も、一度、『鉄腕アトム』の代筆をしています。『アルプスの決闘の巻』の後半部分ですが、あるコマから、突然、アトムの顔が変わってしまっています。さすがにこれは、あまりにちがいすぎるので、のちに手塚先生が描きなおしています」
つまり、それだけ、桑田と石ノ森は、絵柄がちがうのである。それを違和感なく“合体”させることに成功した、その秘密は、どこにあるのだろうか。
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