公務員なのに給与がない「公証人」とは何者か――西村尚芳(霞ヶ関公証役場公証人)【佐藤優の頂上対決】
なぜ公証人になったか
佐藤 西村さんはなぜ公証人を選ばれたのですか。大阪地検特捜部長でしたから、いわゆる「ヤメ検」として、引く手あまただったでしょう。
西村 一つはご縁があったからですね。2020年に高松地検検事正で退官しましたが、ちょうどその時、公証人の公募があり、試験に受かったんですよ。
佐藤 公証人はだいたいの数が決まっていて、空いた席がないとなれないわけですね。全国にどのくらいいますか。
西村 約500名です。その数はほとんど変わりません。公証役場は300か所ほどです。
佐藤 では1人の役場もある。
西村 ええ、あります。地域によって格差がないよう公平にサービスを提供するため、公証役場は全国各地にあります。それからもう一つ公証人を選んだ理由は、ちょうど退官の頃に、弟が病気になったんですよ。
佐藤 弟さんがいらしたのですか。
西村 私の実家の石川県で高齢の母と二人暮らしだったのですが、脳腫瘍になって、昨年亡くなりました。ですから、当時、病人と独居老人を抱えることになった。
佐藤 弟さんということは、まだお若かったでしょう。
西村 60前でした。この時、お金の問題や延命治療をするかどうかで、対応に追われていたのです。父はすでに亡くなっていますし、母は高齢で、弟は離婚していたので、さまざまな手続きや決定を私が行わなければならなかった。このため、弁護士になるのに必要な準備の時間が取れなかったんですね。
佐藤 いまはインフォームドコンセントが非常に厳しくなっていますし、手術一つ受けるのにも、いくつもの書類にサインしなければなりません。
西村 本人が署名できない場合は、家族、親族が署名するんですね。弟の場合、判断するのが私しかいませんでした。でも兄とはいえ、延命治療の諾否を含む重大な決定をするのは、かなり心理的な負担が大きい。
佐藤 わかります。たいへんな心理的負担です。
西村 実は、公証人の仕事の一つには「尊厳死宣言公正証書」の作成があります。延命治療を行わないという内容で、かなりポピュラーになってきた。これをあらかじめ本人が作成しておけば、親族の負担は非常に軽くなります。これがあれば、と思いましたね。
佐藤 それも仕事の一つなのですね。一般にはそうしたことがあまり知られていないでしょうから、ここで公証人の仕事と役割について、少しお話しいただけますか。
西村 まず定義からお話しすると、公証人は公証業務を行う者として、法務大臣から任命された公務員です。ただし国から給与をもらうわけではなく、公証事務の手数料が収入になります。国から補助金をもらうこともありません。
佐藤 国家公務員法や地方公務員法に規定されている公務員とは違うのですね。
西村 はい。実質は個人事業主です。仕事をする場所を公証役場と言いますが、これは全国どこでも公証人が家賃を払って借りています。公証人の仕事を手伝ってくれる書記も、法務局から「書記」の肩書を与えられてはいますが、私どもが雇って給料を払っています。それでも公務員であるのは、扱っている公証業務が公務だからです。
佐藤 他に公務だけれども、国からお金は出なくて、手数料で食べているという職業はありますか。
西村 裁判所の執行官も手数料を収入としています。ただ、事務所の家賃まで払っているということはないと思います。公証人の制度は、国によってさまざまですが、日本では明治19年に制度ができて以来、このシステムでやってきています。国は公証業務に予算をかけなくてもいいし、公証人も相応の仕事をさせていただけるということでウィンウィンになっているとは思いますが、決して楽な仕事ではないですよ。
佐藤 一般には裁判官や検事の天下り先で、ものすごく稼いでいるように思われていますね。
西村 車がつくわけではないし、秘書もいないし、個室が与えられるわけでもない。天下りとは別世界です。それに、自営業者ですから自分で稼がなければならない。つまりある程度の量の仕事をこなしていかないとお金にならないわけです。しかも公証役場は全国にありますが、場所によっては、集中しているところもある。だから競争もあります。
佐藤 西村さんは東京の霞ヶ関公証役場ですから仕事は多そうですね。
西村 実は周囲に公証役場が結構あるところなんですよ。だから役場同士、熾烈(しれつ)な競争をしている(笑)。
佐藤 地方では仕事が少ない場所もあるでしょう。
西村 県庁所在地にはそれなりの需要がありますが、それ以外の地域だと、経営が大変なところはありますね。しかし、全国どこの公証役場でも適正な公証サービスを提供する必要があるので、そうしたところへは、公証役場が協力し合って、一定限度経営が成り立つように補助をする仕組みがあります。
[3/4ページ]