阪神・岡田監督はかつてオリックスをいきなり“紙一枚”で解任の過去 「アホらしくて何も聞かなかった」と自著で語った因縁の対決なるか

スポーツ 野球

  • ブックマーク

野球観を変えたのはオリックス時代があったから

 取材を進めると、こんな情報も。岡田監督は「最大13ゲーム差」を逆転され優勝を逃した08年ペナントレースよりも、05年、優勝して千葉ロッテと臨んだ日本シリーズに強い屈辱感を持っているという。

「4戦ストレート負け。4試合トータルで33失点、阪神打線は計4得点でした」(前出・同)

 敗因は一つではない。同年は「鉄壁のリリーフ陣・JFK」が確立されたが、先発投手陣が千葉ロッテ打線に先制点を許し、常に追いかける展開となってしまった。前出の元阪神スタッフによれば、

「岡田監督はJFKのジェフ・ウィリアムス(51=現・駐米スカウト)、藤川球児氏(43)、久保田智之(42=現・コーチ)を使おうとしませんでした。ビハインドで投げさせるリリーバーではないと言ったんです。でも、第3戦で追い詰められて藤川を、第4戦で3人を投入せざるを得ませんでした。よほど悔しかったんだと思う」

 と、当時の胸中を代弁する。

「第1戦初回の攻撃で、異変が起きたんです。岡田監督はその場面を敗因としてこぼしています。1番赤星憲広氏(47)が四球で出塁し、2番鳥谷敬(42)のところで単独盗塁のサインを送りました。でも、赤星が一向に走ろうとしないんです。相手投手のセットポジションを見て、スタートダッシュが切れないと判断したからです。結果は、鳥谷は三振で無得点。岡田監督は阪神選手のクセが丸裸にされていると直感しました」(同・元スタッフ)

 千葉ロッテのボビー・バレンタイン監督はアナリストにデータ解析をさせるMLBの方法を導入していた。今日ではどの球団も最新式のデータ解析を行っている。しかし、データ解析力で負けたことにも岡田監督は屈辱を感じた。

「岡田監督がデータ解析の大切さを学んだのは、実を言うとオリックス時代なんです。95年、岡田監督はオリックスで現役を引退すると、当時の故・仰木彬監督から『指導者の勉強もしていけ』と言われ、二軍助監督、打撃コーチの席を用意されました。仰木監督の日替わり打線はヒラメキではなく、データを読み込み、熟考したもの。対戦投手との相性だけでなく、走者の有無における打撃成績など、複数のデータを合わせて打線を組み立てていました」(前出・ベテラン記者)

 日替わり打線というと、今日ではオリックスの中嶋聡監督(54)の印象が強い。選手の個性を活かすため、臨機応変に動く中嶋スタイルに対し、岡田監督は大山悠輔(28)、佐藤輝明(24)の守備位置を固定させ、打線もほぼ固定してきた。

「オリックスも高い投手力を誇っています。山本由伸(25)という絶対的なエースがいて、その山本を打ち崩すのは大変なこと。オリックス打線に先制点を奪われる展開になると、05年の悲劇が再現されるかもしれません」(前出・同)

 両チームによる関西シリーズが実現すれば、1964年以来59年ぶり。オリックスに対し、複雑な感情があるはずの岡田監督と、シリーズ連覇を目指す中島監督。どんなファーストコンタクトを見せてくれるのだろうか。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。