重量級ボクサーのレジェンド「西島洋介さん」が断じる“一番強いのはボクシング” 「総合格闘技のグローブは当たっても痛いだけですが…」
かつて「西島洋介山」のリングネームで、日本人初の世界ヘビー級王座を目指した元プロボクサー・西島洋介さんは、現在、千葉県松戸市にあるスポーツバー「AN」を経営する傍ら、パーソナルトレーナとしてボクシングを教えている。
「自分がやってきたことを誰かに伝えていけるということは、すごく幸せなことだと思っています」
そう穏やかな表情で話すが、その人生は山あり谷ありだ。昨年には、キックボクシングルールの試合に臨み、左フックを浴びてダウン。倒れる際に、後頭部をリングに強く打ち、急性硬膜下血腫で緊急入院した。「現在は、体調も戻ってきました」。山と谷を知る男に、話を聞いた。(前後編のうち「後編」)【我妻弘崇/フリーライター】
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【写真を見る】50歳になっても変わらない鋭い眼光とシャープな足運び。パーソナルトレーニングで指導する姿はファイターそのものだった
50歳とは思えない均整の取れた肉体は、往年の「西島洋介山」を彷彿とさせ、威圧感を醸し出す。そのことを伝えると、「いやいや、そんなことないです」と謙遜して微笑む。コワモテの外見からは想像できないほど、“人の良さ”がにじみ出ているのも西島さんの魅力だろう。
格闘家女優として活動し、公私にわたって西島さんを支えるマネージャーのアンナさんは、「彼のマネージメントを務めるようになって14年ほど経ちますが、一度も怒った姿を見たことがない。人が良すぎるから、すぐだまされるんです」と呆れたように笑う。
プロボクサーとして、日本とアメリカを主戦場に戦ってきた猛者ではあるが、「ケンカなんて一切したことがない」と明かす。
「学生時代もものすごくおとなしかったくらい。自分は5月生まれだから体が大きかった。そのおかげで、からまれることもなかったんだと思います(笑)」(西島さん、以下同)
「西島さんは“ヤバい人物”だと思われていた」
ときおり、「?」と思うことがあるが、今日会ったばかりの人間が気軽につっこめるような雰囲気はない。重量級ならではのオーラが漂う。事実、その外見と体躯から、高校時代は伝説が独り歩きしていたという。「AN」に居合わせた、西島さんと同じ高校に通っていた後輩が証言する。
「すでに西島さんはプロボクサーとしてデビューしていたのですが、僕が高校に入学したときには、“西島洋介は伝説的な番長だった”という都市伝説が存在していました。同じくプロボクサーの坂本博之さんも高校の先輩で、めちゃくちゃケンカが強かったと言われていたので、重量級でボクシングをしている西島さんは“ヤバい人物”だと思われていた」
現役時代、西島さんは勝利を飾っても、「会長に聞いてください」と一言だけ言い残し、さっさとリングを降りていた。インタビュアーが困惑する姿を見て、高校の後輩たちは、「西島洋介はやっぱりヤバい!」と熱狂していたそうだ。とはいえ、西島さん本人は、
「インタビューで話すのが恥ずかしかっただけです(笑)。“西島洋介はとんでもない長さの長ランを着ていた”とか、いろいろな噂があったみたいなんですけど、自分は野球部に所属していた普通の高校生でした。なんでそんな作り話が誕生したのか……」
西島さんは「路上で突然、会長から“君はヘビー級チャンピオンになれる”と声をかけられた」というエピソードとともにプロデビューを果たす。だが、この話自体がそもそも「作り話」だった。無口なことも重なって、西島さんの特異なキャラクター性は、たしかに都市伝説と相性が良かったのかもしれない。
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