秋篠宮家のプリンセスに元気がないのは何故か 元宮内庁幹部は「皇嗣家になったことも影響」

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 お代替わりで皇位は将来秋篠宮家に移ることがはっきりしたが、国民的な人気に後押しされて、宮さまと長男の悠仁さまを支えてきた宮家の女性陣にいま元気がない。さらに7月に秋篠宮妃紀子さま、9月末には次女の佳子さまが相次いでコロナに感染するなど、不運としか言いようがない。なぜこんなことになったのか。宮家のプリンセス方の歩みを振り返ると、見えてきたのは……。

佳子さまが取材の主役になった日

 その瞬間「お~」という地響きのようなうなり声とどよめきが周囲を包んだ。

 2007年2月3日、秋篠宮ご一家が葉山御用邸(神奈川県葉山町)に滞在中、隣接する葉山しおさい公園をご散策。生後5カ月の長男・悠仁さまにとって初の御用邸ご訪問で“公園デビュー”の日ということで、公園には新聞・テレビなどのカメラマンが大勢かけつけ待機していた。

 うなり声はそのカメラマン席から上がったものだった。原因は佳子さま。取材陣の前に現れると、どよめきの後にカメラマンの間から、

「ずいぶん可愛くなったなぁ……」

 という感嘆の声ももれた。敬語ではないところに、図らずも漏れ出たリアルな本音だと感じられた。はにかんだ笑顔と、はつらつとした健康的な膝上丈のスカート姿が、映像のプロたちの心を一気につかんだようだった。

 そもそも公園デビューに大挙してカメラマンが集まったのは理由がある。天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)の長女・愛子さまが03年5月13日に雅子皇后に連れられて赤坂御用地近くの新宿・みなみもと町公園で公園デビューを果たされた際は“お忍び”だったために撮影できなかったからだ。愛子さまでかなわなかったご成長記録の撮影を、悠仁さまでリベンジしようというのである。

 しかし、それだけ注目されたこの日の写真取材の主役は、佳子さまにとって代わられた。佳子さまを“アイドル視”する傾向はこの時が始まりだった印象だ。

 小学2年でフィギュアスケートを始め、ご自宅に程近い明治神宮外苑アイススケート場で練習を積まれると、07年4月には競技大会で部門優勝。さわやかなブルーの衣装で氷上を舞われるお姿が愛くるしいと評判を呼んだ。当時は浅田真央さんがまだ現役スケーターとして大活躍していてフィギュア人気が高まっており、佳子さまにも一層注目が集まった。高校でダンスを始め、大学でも続けられたことでネット上には短めのトップス姿でダンスをする佳子さまの華やかなプライベート写真や動画が時折アップされ、

「ダンスはプロ級で笑顔はアイドル並み」

「表現力がすごい」

 などと好評を博した。

発表した文書でイメージが……

「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」

 19年3月22日、国際基督教大(ICU)の卒業に当たって発表した文書には、当時姉の小室眞子さんの結婚が延期されていたことについて、こう思いを綴られた。

 眞子さんの結婚はSNS(交流サイト)上でも賛否が真二つに分かれたことは振り返るに及ばないが、この文書をきっかけに、佳子さまへのフォローウインドはアゲンストに変化。「佳子さまは皇室の一員なのに、公より私を重んじるのか」と反発を買い、イメージもアイドルから一変した。

 その流れは眞子さんの結婚後も続き、今年に入ってからは赤坂御用地内で1人暮らしを始められたことを「なぜ隠していたのか」などという声があがっている。

 元宮内庁幹部は、こう感想を吐露した。

「2015年に静岡で行われた馬術大会で20歳の佳子さまは『努力をした経験はさまざまなところで生きる』と述べられました。これはご公務での初のお言葉です。馬術は陸軍騎兵学校教官だった竹田宮恒徳王が五輪出場を目指し、上皇陛下が高校で部の主将を務められた皇室伝統のもの。佳子さまはこれからご公務に励むという意思表明をされたと受け止めた人も多かったでしょう。ですがICUご卒業後も就職されず、これに厳しい意見が続々と出た。どうすれば佳子さまへの逆風が止むのか」

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