小野伸二引退 時代を先取りした“悲運の天才”、日本で評価が低いのはなぜか

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99年のワールドユース

 98年3月21日、浦和駒場スタジアムでのジェフ市原(現・ジェフ千葉)との開幕戦に小野はスタメンでフル出場を果たすと、4日後の横浜フリューゲルス戦ではJ初ゴールも決めた。このシーズンは27試合に出場して9ゴールの活躍で、新人王とJリーグベストイレブンにも選出された。

 しかし、小野にとってのこの年のハイライトは、フランスで開催されたW杯の第3戦、ジャマイカ戦の79分に名波浩と交代で出場したことだろう。18歳と272日でのW杯出場は、日本代表の史上最年少記録としていまなお破られていない。

 年が明けた99年2月、フィリップ・トルシエが監督に就任したU-20日本代表の一員として、小野はフランスとブルキナファソの遠征に参加。そして4月にはナイジェリアで開催された第10回ワールドユース(現・U-20W杯)にキャプテンとして挑んだ。

 チームメイトには、高校時代に覇を競ったFW高原直泰(清水東)やGK南雄太(静岡学園)、本山ら顔なじみの選手も多かった。

 しかし、ワールドユースではいきなりピンチを迎えた。初戦のカメルーン戦を高原のゴールで先制しながら終盤の2失点で逆転負けを喫してしまう。

 それでも第2戦のアメリカ戦を3-1で勝ちきると、続くイングランド戦も小野が得意のループシュートで追加点を奪い2-0と完勝して決勝トーナメント進出を果たした。

3枚のイエローカード

 決勝トーナメント1回戦の相手はポルトガル。遠藤保仁のミドルシュートで日本は先制したが、試合は1-1から延長戦でも決着がつかず、PK戦に突入。ここで日本は、後半に入ってポルトガルGKセルジオが負傷退場し、フィールドプレーヤーがGKを務めるという幸運にも恵まれる。

 日本は、高原、本山、中田浩、小野ら5人が確実に決めてPK戦を制し、95年カタール大会、97年マレーシア大会に続きベスト8進出を果たす。ただ、このポルトガル戦で小野は、イングランド戦に続き2枚目のイエローカードをもらってしまった。

 メキシコとの準々決勝では、開始4分に本山がヘッドで先制点を奪うと、24分にも小笠原満男のクロスから小野がヘディングで追加点を決めて初のベスト4進出を決めた。

 準決勝の相手は前回大会に準優勝し、後の2010年南アW杯で得点王とMVPを獲得したディエゴ・フォルランを擁するウルグアイだった。

 高原と永井雄一郎の大会初ゴールで2-1とリードして前半を折り返したが、後半に本山と遠藤を下げるとウルグアイの猛攻にさらされた。それでもGK南の好守もあり、2-1で逃げ切りに成功。ついに決勝戦へとたどり着いたが、この試合でも小野は警告を受け、累積3枚となりスペインとの決勝戦はキャプテンを欠くことになった。

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